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第55回 「設計」は何のために行うか?

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
政策参与
植野 芳彦 氏

1.はじめに

 久々に東京での打ち合わせも始まったと思ったら、またどうなることか? コロナウイルスとの戦いは、終わりなき戦いである。終わりはない、インフラの老朽化と同様である。

「これからどうするの?」と皆から聞かれるが、まだ定まってはいない。ここで、これだけコンサルに対して厳しいことを言っているので、さすがにコンサルからはない。しかし、コンサルタントという業種がきちんとしてもらわないと、我が国は困ることになる。せっかく高度成長期にできた業態である。うまく動かせる経営者はいないのか?

 この国は昔から欧米の真似はしているものの、一部の人間が都合がよく真似しているので、どうも本当に機能する仕組みになっていない。これに皆そろそろ気付くべきである。


2.設計 ―その先にあるもの―

 何かを実施するということには、理由があり目的がある。「設計」は何のために行うか? ということであるが、目的物を作るため、建造するための初期の行為である。重要なのは、後工程の建設行為がうまくことである。最近ではその後の維持管理も重要である。

 したがって、作れない作業をいくらしても、それは本来設計とは言わない。そして、利用者が所定の期間安全に使用できる性能を持つことである。つまり、耐久性と維持管理性。もっと言うと、後工程に迷惑をかけるようでは、やらないほうがましだということである。

 ここであえて言うと、役所の役割は、市民・国民に税金の見返りに良いサービスを提供することである。これが真剣に考えられていないから、設計の成果がダメでも甘やかしてしまうのだ。官民双方の甘えが、問題のある成果を生み出す。民間では許されても、公共事業では許されてはいけない。

 そもそも設計とは仮定である。仮定から始まって、実物につなげていく。そして耐久性を保てるという、未知の領域の担保ができることである。




激甚化する自然災害への対応も必須だ


 簡単に「100年の寿命」というが、本当なのか? 作るときに設計の良し悪しもあるし、施工の状況や材料の状況もある。本来は、市販のソフトに数値を入れて、「はい、終わり」ではない。見ていると、バランスが悪くても常識的でなくても平気でやっている。指摘しても、直そうともしない。言い訳は多い。

 今、維持管理も含めたうえで見ると、どうも予備段階の橋梁形式の検討から、甘い。甘いというよりも手抜きなのである。きちんと比較検討ができていない。これを言うと反論があると思うが、地方自治体の橋梁を見ているとやたら、コンクリート系のRCやPCに形式が限定されている。

 実は理由は分かっている。日本のコンサルでメタルの上部工がわかる人間は極めて少ない。だから、避けられるのである。これを言うと「きちんと検討している」と言うだろうが、本当にそうなのか? 過去には「メンテナンスフリー」というまやかしの言葉で納得させられていたのだろが、コンクリートやPCがメンテナンスフリーではないことは、認識のある方々は分かっているはずである。

 本来、真の「設計者」であれば、材料の面からはコンクリートはもちろんメタルも木も、その他の材料も検討し形式決定していくのが、予備設計である。これを昔あるコンサルの部長クラスが、「材料が木だからわからない」と盛んに言うもんだから、「木だからじゃなくて、そもそも構造力学がわかっていないのでは」と言ったら、相手はすごい怒っていたが、先進国の技術者としてはあり得ない。

 私は最初、メタル屋であったが、下部工は裏設計の一連で、やれと言われることが多いので勉強したのが最初であるが、その後、標準設計や基準作りで、RC、PC橋、下部工、基礎工、ケーソンや鋼管矢板基礎なども担当した、木橋の基準も作成し、6橋ほど実際に作っている。さらに、トンネルや擁壁、ボックスカルバート、道路、のり面、斜面や水門やインクライン、鉄塔、空港の進入灯などの特殊構造物も経験している。

 点検においても、メタル橋の点検がどうも怪しいと感じている。補修設計も同様。普通の人間は、経験がないとなかなか理解できない。浅い経験では理解できない。




鋼橋の点検