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㉞橋梁トリアージ

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
建設技術統括監
植野 芳彦 氏

3.橋梁トリアージの考え方

 まず「トリアージをする」と言った段階で、「法律で義務付けられている全数点検をしないつもりか?」と言われた。またこれも、揚げ足を取るのが好きな人たちの言葉である。見もしないで、トリアージもできないでしょう! 点検は点検でキチンとやり、その後の判断の話をしているのである。一度は必ず、診るのである。トリアージは、診断結果の判断なのである。それよりも点検精度に問題がある。点検精度が悪ければ、診断結果や評価が変わってしまう。点検精度の議論は、未だ十分ではない。

 技術的に見れば、橋梁点検の結果を見て修復が可能か? コストの判断を行い、その橋梁の社会的な位置づけを検討し順番を決めていく。そしてこれがすべてではなく、時間によって変わるだろうし、財政の状況によって変わってくるだろう。トリアージの見直しも、時間の経過により必要である。

 そもそもトリアージとは多数の中から、限られた資源(人・物資・時間)でどれだけ対応できるか? ということになる。最終的には時間切れということが一番怖いはずである。何のために「トリアージ」をするのか? というところが大事であり、考え方として優先順位を考えることは、なるべく多くのものを助けるということになる。財政と時間は密接に関係してくるので、その時間を無駄に使わず、なんらかの方策で解決できることは実行していくことのほうが重要である。たとえば「通行止め」や「荷重制限」などがそれにあたる。



限られた資源のなかでどのように対応していくのか


 橋梁にその手法を入れるということは、まず点検を実施し、その結果を見極め、2,200橋梁全体の状況から技術的にどの程度の損傷・劣化具合なのか判断する。もちろん、橋齢などの条件も加味する。さらには、その橋の置かれている状況場所などの社会的条件を勘案し、トリアージしていく。ここで、順番付けそのものは重要ではなく、グループ分けして、その橋の状態と状況がどうなっているのかを見当を付けていく。

 ここで細かい方々は条件をすべて示せと言うのだが、そんな議論は後でやっていただきたい。そして、年度の予算状況を見ながら、何処までできるのか? を判断していくわけであるが、補修工事だけでなく、架け替えと点検に関わる費用も必要なので、年度内にできる作業は限られてくる。そういう意味からもトリアージなのであるが、なかなか真意は理解されないでいる。本来は、24年度の「長寿命化計画策定」のときが「トリアージ」をやるべきだったのだ。

 たとえば、いろいろ細かいことをいう方々がいるが、「暇だな!」と言うしかない。では、実際にお任せしたい。何度も言うがトリアージは判断であり決断である。診断でよく言われることであるが、できれば同じ人間がやったほうが良い。そういうことで、一次選定をAIにやらせたいくらいである。さらに、富山市と他の都市では違ってくるであろう。




橋梁トリアージの方針と判断要素


 ここ、富山市での「橋梁トリアージ」の中身に関しては、私は考え方を示し、細部に関しては職員の信頼できる者に任せた。彼に、考えて構築してもらった。なぜか? トリアージの考え方は自治体によって異なるし、全体の状況や地域性などは、私が口を出さないほうがよいからである。しかし、彼は立派に作り上げた。たいした者である。橋梁のトリアージを考える上で、地域の特性という者は重要である。これを理解したうえで「富山市の橋梁トリアージ」ができるわけであり、他の○○市ではまた違った考え方が活きてくるわけである。「実践者」に大事なのは応用力である。いくら理論を勉強しても実際に使えなければ、何もならない。「現象は現場で起きている」のである。机上論では解決できない。


4.まとめ

 富山市が管理する橋梁数は、約2,200橋ある。これは紛れもない事実である。一方、富山市の現在の橋梁関係の予算規模では、補修工事の可能な橋梁数は年間10橋程度にとどまっている。これまでの点検結果から、約1割が補修を必要とするⅢ評価である。つまり、200橋以上が対処の順番を待っているのだが、今のペースで行けば20年掛かり、この後、追加される(ⅡがⅢになる)ものも出てくるし、一度補修したものの再劣化、そして架け替えと、財政的には相当厳しくなる。

 財政そのものが収縮する中で、トリアージではその時間的な厳しさを現そうと考えたのだが、なかなか理解は得られず、その手法とか結果に目が言ってしまいがちである。全体を俯瞰的に判断して行く必要があるのだが、目先にばかり目が行き財政的に「The END」となるような気がする。

 維持管理の時代に突入した今、管理者は全体を俯瞰しながらできるだけ対処するというのが基本だが、それが思うようにできないというのも事実である。技術者とは、判断の繰り返しである。設計においてもそうであろう。維持管理になると、さらに判断が重要になってくる。判断を裏付けるものは何か? それは感性と経験実績である。

 現在の状況を見ていると、設計に関してもソフトに頼りすぎである。道路橋示方書に適合する橋梁ならばそれでも良いが、やはり技術者の判断は重要である。ましてや適合しないものに関しては、様々な検討を加え、判断をしなければならない。ということから、旧公団系(現道路会社)の方々のほうがそういう場面に長けていると感じる。私の経験からも、昔はそれぞれの発注者に厳しい方々がいて、一筋縄ではいかず、無理難題を検討させられ、鍛えられたと思う。現在はどうか? 発注者が優しくなり、協議で「ハイハイ」と聞いていて終わってしまう。後から問題が出ると、必死で業者をかばっている。一件、美しい姿である、しかし、国民・市民に対して「インハウスエンジニア」として不遜な態度である。

 また技術者の世界は、いわば徒弟制度だ。技術的に一人前になろうとすれば、自分の師匠を見つけ、研鑽しなければならない。組織の仕事だけをしていても、これも中途半端である。天才的能力を持っていても、研究開発者ではない。幅広い知見と経験が重要なのであり、現場も経験しなければならない。若いうちから「自分は一人前」と思ってしまうのは危険である。基本は「ものつくり」なので、現場での実践が重要である。現場を知らないコンサルに点検を依頼し、補修設計を依頼して、まともな維持管理が今後できるとは思えない。新設でも、不都合が出るのは当たり前である。