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-分かっていますか?何が問題なのか- ㉛真の『安全・安心』と温かい血の通う技術者

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏

2.今更昔に立ち返れ!とは言いませんが

 昭和の初期に建設された東京・目白の千登世橋、千登世小橋の施工状況写真を見て、質の確保、工事の安全について必要なのは、肌の温もりを感じる技術者と強く感じたので紹介しよう。


 千登世橋と千登世小橋は目白通りに架かる豊島区目白1丁目及び雑司ヶ谷2丁目に位置する道路橋(図‐2参照)で、千登世橋は明治通り、千登世小橋は都電(建設当時は、市電)を跨ぎ、風景に溶け込む美しい外観は地域のシンボルともいえる橋である。千登世橋の構造は、上路の鋼アーチ橋(図‐3参照)、千登世小橋の構造は、鋼単純鈑(I)桁橋である。千登世小橋が跨ぐ市電は、もともと「王子電気軌道」として、1911年(明治44年)8月、王子・飛鳥山から大塚間で開業、その後1928年(昭和3年)11月に現在の終点・早稲田の手前、面影橋まで延伸する時に当該箇所に木橋で架設、軌道を跨いだ。その後、関東大震災復興事業計画の一環として、1927年(昭和2年)に環状道路・環状5号線(通称道路名:明治通り)と目白通りの事業実施、当然交通網としての重要性を考え、都内初の幹線道路同士が立体で交差する道路橋として位置付けたのが千登世橋である。これからが、私が是非多くの人に見てもらいたい建設現場と解説だ。


 写真‐3は、千登世小橋の橋台部分、配筋、型枠組み立てが終わった箇所に機械練りの生コンクリートを打設している状況である。写真‐4は、コンクリート打設がある程度進み、養生コンクリートの状態を監督員が足場の上から現場を見降ろしている状況である。さて、ここで私が問題としたいのは、千登勢小橋の施工現場には、現場に通りかかった住民が、工事現場がどのような状態なのか、期待している橋はどんな構造物となるのかを覗き込む姿が見て取れる。子供を背負った女性、歯科医で働く看護師、自転車に乗って通りかかった職人など出来上がる橋を楽しみに、そして工事が物珍しいのであろう。


 写真‐5には、監督員は不在ではあるが施工現場は進捗する、そこにも次世代を担う男子学生が今ある木製の千登世小橋と九段側の橋台際から工事の進捗状況を見ているのだ。多分、学生の頭には、街を造る、街のシンボルとなる橋の魅力を感じ、どのように出来上がるのか期待感一杯の眼差しで見ていると私は感じる。そして、架け替えが完了した千登世小橋を路線バスが通過する状況を目白・学習院側から見たのが写真‐6である。ここまで昭和初期の工事写真を見て、読者の皆さんは何を感じたのであろうか。私がなぜここで、これら古く色あせた写真を取り出した趣旨がお分かりですか?


 次に、写真‐7は、先に説明した関東大震災復興計画の重要な幹線道路、環状5号線・明治通りの千登世橋部分の掘削工事の状況だ。木製の仮坂路、木製の土留め、掘り下げ工事は人力中心、もっこ(畚)を担いで掘削土砂を運搬する作業員が映っている。現代の仮設材料や施工技術と比較すると危険度一杯と思う人、そうではなく、人の温もり、技術者のプライドそして親方や監督員への信頼感、どちらを感じるのでしょうか?


 ここにも、作業員が安全に施工しているか、指示通りの工事を行っているか、質の確保は十分かを常に目を光らせ見張っている監督員が立っている。

 写真‐8は、いよいよ千登世橋の重要な橋台床付け面のコンクリートを2方向から、それも人力によるコンクリート敷き均しを型枠の上から親方、足場の上から監督員が見張っている。誤解のないように適切な言葉で言い換えると、見張っているのではなく、見守っているのだ。


 写真‐9は、アーチ橋の最も重要な安定橋台に架設した鋼製アーチ部材を木製の支保工によって建て込んだ状況写真である。ここにも、監督員が橋台、鋼桁先端に立ち、施工状況を見守っている。監督員は、作業員を見張っているのではなく、施工過程で問題が発生すれば直ぐに判断し、問題を先送りしない技術者本来の姿を映し出しているのではないのか。ここで話を変えて、施工方法について話をしよう。私が注目しているのは、千登世橋の桁架設における支保工の建て方にある。掘削工事は、明治通りの完成断面まで掘り下げて施工せず、敢えて地山を残してそれを有効に使っている。その理由は、支保工の高さを低くすることで、支保工の転倒やせん断破壊を防ぐように工夫していることが見て取れる。ここにも、木製の支保工の強度と安定性を考えて施工する技術者の工夫、技術力がある。効率的な作業よりも、手間はかかるが安全性重視なのだ。であるから、作業員も安心して工事に専念できると私は考えるが如何ですか? 


 写真‐10は、鋼アーチ主構を架設完了し、部分的な手直しと架設完了状況を確認している状況である。6人の監督員、3人の親方が施工状況に目を光らせているが、工事現場のすぐ横には、これまた通りがかりの住民が自転車を止め、どんな橋なのかを見ている。


 次に写真‐11を見てほしい。アーチ橋の床版鉄筋の配筋、コンクリートの打設、敷き均しを人力によって行っている。当然、アーチ構造に支持されるコンクリート床版築造時に注意すべき鉄則を守り、中央分部から橋軸方向にバランスを取りながら施工している。さらに、床版、路面を平滑に保ち、将来耐久性能上問題となるひび割れが発生しないように、多数の作業員と親方が注意深く作業を進めている。この場面にも、コンクリートを作業員が打っている直近に監督員が立ち、その状況を見て、何かあれば直ぐにでも指示が出せるような体制を作っている。当然、その状況を逐一見ている住民も、親方、作業員そして監督員の良いものを造ろうと努める熱意を五感で感じているのだ。このようにして、工事を請け負った会社の親方と行政監督員の基で作業員が滞りなく工事を進め、周辺の住民から期待され、若い学生からも見られていた千登世橋・千登世小橋は、1932年(平成7年)2月には完成、翌年に供用開始となった。


 写真‐12は雑司ヶ谷側から面影橋側を見た千登世橋、写真‐13は、面影橋側から雑司ヶ谷側、遠方に池袋を見通す千登世橋である。いずれの写真にも、千登世橋を渡る人々が橋の下を通る明治通りを見下ろし、完成した交差橋の素晴らしさを目で見て、肌で感じている姿がそこにある。敢えてここで私が言いたいことが一つある。工事現場を取り囲む仮囲いについてだ。現代では無理かもしれないが、千登世橋・千登世小橋の現場では全く仮囲いがない。施工現場をオープンにしたことで周辺の住民は、工事の進捗状況や日々立ち上がる構造物とそこで働く多くの技術者を自らの目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、振動を肌で感じることができるのだ。正にこれが工事の『見える化』ではないのかと考える。安全性重視の観点から工事現場を囲いたいのは分かるが、もう少し住民に見えるようにできませんか。その理由は、住民が前向きの作業には技術者の技と熱意を感じるプラス評価、逆に後ろ向きの作業であれば住民は不安を感じるマイナス評価、まさに発注者評価ではなく顧客(住民・国民)による評価となる。公衆から高い評価を受ける技術者とは、持てる技術におけるひた向きで継続的な向上心を持っていなけれればならない。その結果、社会から高い評価を受けることで、作業員や関係技術者がプライドを実感する環境が創られ、自然とヒューマンエラーが少なくなることを私は読者に伝えたい。



 写真‐14は、現在の千登世橋を雑司ヶ谷側から見ているが、85年経過しても持てる構造美は変わらない。であるから多くの人に信頼され、愛される橋と言えるのだが。昔から目白、雑司ケ谷にお住まいの人々は、きっと安心して千登世橋・千登世小橋を渡っていると思う、施工現場を見ていた親や親戚、街の長老からそれを聞いているからだ。


 現在はどうであろう。近年、工事の施工管理においては多種多様の最新の機械、センサー、ICTが駆使され、質と安全確保を行っている。しかし、橋にまつわる事故は減らないどころか、連鎖的に発生している。私があえてここで千登世橋の工事状況を紹介したのは、事故が起こらない状況を創り出すのは、科学技術がオールマイティに機能すれば素晴らしいが、科学技術によって事故が無くなるわけではない、やはり人だと言いたい。

 如何に人が重要であるかということを分かり易く説明するために、事例を示し考えてもらおう。古代から、人や荷物を運搬する船の安全性は最重要課題である。船の航行を安全にと願うニーズを満たすために人は、持てるシーズによって安全で強固な船の製造法、新材料、航行方法、羅針盤、レーダーや通信技術などの研究・開発を積極的に行ってきた。その結果、科学技術によって古代と比較すると飛躍的に船と安全装置の性能は向上し、安全性は著しく高くなったといえる。しかし、荒海を航行する船の安全な航行を確保するには科学技術だけでは十分ではない。台風やハリケーンなどで荒れ狂う嵐の中を航行し、今や沈没寸前の船を必死に操舵する船長が命を共にする船員を従わせるものは、航行法などの法制度ではなく、船長の並外れた交渉術でもない。

 それは、船員の船長への高い信頼感である。船の究極の安全性を確保する船長への信頼性を担保するのが船長の持つ責任感であり、その責任感を担保するのが「船が沈むときには、船長も船ともに沈む」と言われる船乗りの規範なのだ。先に示した高度な科学技術に加えて、船員の船長への熱い信頼が無ければ船の安全性は確保できないと私は確信する。