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-分かっていますか?何が問題なのか- ㉛真の『安全・安心』と温かい血の通う技術者

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏

はじめに

 第48回衆議院選挙の結果、『美しい国へ』、『国民の安全・安心を守るのが政治家』などを政治理念として進める安倍晋三・自由民主党が与党として引き続き政権を担うことになった。政治とは分からないもので、つい先月まで選挙となれば、都知事・小池百合子率いる「都民ファーストの会」が政権を担うのではと思われていた。しかし選挙戦がスタートし、小池都知事が代表の「希望の党」を立ち上げた辺りまでは勢いはあったが、小池都知事の不用意な発言?の前後から急速に国民の心は離れ失速、小池都知事自らが敗戦の弁を語って終わりとなった。私の個人的な感覚で政治に関して物事を言うのは控えるが、ハッキリ言えることは民意とは恐ろしいもの、小池代表の熱意が希薄であるのを国民は見抜き報道もそっぽを向いた途端、あれだけ多かった支持者も蜘蛛の子を散らすように離れることを実感した。さて今回は、安倍首相の言う『安全・安心』とは意味も内容も異なるが、社会基盤施設の『安全・安心』について自論によって述べるとしよう。

最近、『安全・安心』を含む行政側の施策や方針を見聞きするだけでなく、新聞等報道でも使われている事例が多い。『安全・安心』を標語として使っている人々はその趣旨を十分理解し、それを分かって使っているのであろうか? 私が主として関係する道路橋について考えてみよう。

 まずは、安全(Safety)とは?である。安全の意味を辞書で引くと、「危害または損傷・損害を受けるおそれのないこと」そして、「危険がなく安心なさま」と書かれている。前文は殆どの人が書かれている趣旨を理解できるが、後文は命や身体に損害を受ける可能性がなく、不安を感じない状態とでも解釈するのが適切であろうか、いま一つ明瞭ではない。安心(Peace of mind)は、「気にかかることがなく心が落ち着いていること」と人の感情が主となるために分かりにくい。はっきりしているのは、『安全・安心』の対象はやはり人、そして当然多くの人が安全で安心できる環境を望むことから、政治家も行政もこの言葉をキーワードとして数多くの場面で使うのである。

 それではここで、人(人間)の欲求における安全の立ち位置を考えてみよう。人の欲求について説明する心理学者の理論があり、それが図-1に示す『マズローの欲求5段階説』(断っておくが、これは私が個人的に勧める理論ではなく、一般的に認められた理論)である。


 この理論では、人の欲求は5段階の階層に分けられ、下から、外的な①「人として生存するための生理的欲求」、②「安全を求める欲求」、③「孤独感や社会的不安を解消する、社会的欲求」、内的な④「他人から認められたい、尊厳の欲求」、そしてピラミッドの頂点に立つ⑤「自己能力を引き出し創造的な活動をしたい、自己尊厳の欲求」に分けられ、底辺に位置する低次元の欲求が満たされて初めて高次元の欲求に移行するとなっている。確かに自分のこれまでをあてはめてみると納得するのだ、この理論が。そこで私は、大学の講義において、社会が技術者に求められていることを話す機会があると、必ずこの図を用いて人の欲求を詳細に説明する。私が説く人の欲求は、マネジメントの基本をなすもので顧客(ステークホルダー)がキーとなる。

 マネジメントを成功させるには、顧客の望むニーズを把握することが第一で、顧客のニーズを満足させるために人(技術者、組織等)の持つシーズを調べ活用し、その結果、それらを形とするウォンツ(製品、施設・構造物など)の流れが重要であると話し、それを理解させる手段として『マズローの欲求5段階説』を使っているのだが。『マズローの欲求5段階説』・因果律を見て分かるように、安全を求める人の欲求は、生理的欲求の次、2番目に位置付けられ、痛みや恐怖、不安を回避して安定を望むことである。ということは、社会基盤施設の『安全・安心』の目指すべき姿といえ、抽象的な表現の中に、普段我々が何気なく使っている安心に限りなく近い考えである。安全は、人が生活するうえで重要な必要十分条件であるとともに、人々の欲求のなかでは基本的で重要な位置を占めるものといえる。

 それでは、安全を確保すれば安心が得られるかである。それは違うと考えるのが一般的だ。安全は、工学的な設計・施工によって形作られ、工学的基準によって判断される。しかし安心は主観的概念であることから、人によって創られた安全を基盤として、人々の主観的な感覚を保障しなければ安心を得たとは言い難い。我々技術者が目指す『安全・安心』な道路橋とするためには、我々がこれまで工学的に取り組んで構築してきた安全だけでは不十分で、見方を変えて、人々が安心と感じる、心理的な面を考える新たな取り組みが必要といえる。

 道路橋は、人が河川や湖などを容易に渡れるように造った人造の構造物である。その造られたばかりの構造物が安全であるかは、設計・施工した技術者の考え方と力量による。


 例えば、写真‐1に示す木製の橋であれば、大水の時には水位が上がり、濁流となれば流失することはこの橋を利用している人、周辺に住んでいる人にとって当たり前のことであった。であるから、写真の木橋・千住大橋を渡る人は、隅田川を流れる水の勢いや風雨の状態を目で見、耳で聞き、肌で感じて危険と感じた時には決して渡らなかったと思う。これは、人の知恵、経験学、木橋は何時流されるか分からない、常に安全ではないと判断していたに違いない。しかし、人間には現状に甘んじない欲、欲求がある。大雨の時にも隅田川を渡れる丈夫な橋がほしい、少しの雨でも不安を抱きながら渡る橋でなく、安心して渡れる橋がほしい、多くの住民の声を聞いて造られたのが、写真‐2の木製ではない、ピントラス形式の鉄橋・新大橋である。雨が降ると渡るのも心配な木橋から、最新の材料と技術によって架けられた鉄橋は、人々の多くの信頼を勝ち得た専門技術者の成果といえ、如何なる時も安心して渡れる橋との住民の評価となったはずだ。


 それは関東大震災後に生き残った住民の声・評価でわかる。架け替えられた新大橋を『お助け橋』と呼び、地震や豪雨の時にこの橋を渡る人々や周辺の住民は、管理者が「この橋は安全です、保証します」といくら言っても、その言葉を信頼するかどうかは分からない。彼らは木橋に代わる新たな新大橋を造っている時に、使われている材料や技術を、そして現場で働く技術者や作業員の技と姿を見て、良いものを造ろうとする熱意を肌で感じたからこそ信頼し、安心して渡るのだ。万が一、橋を架けている現場で事故があったらどうなるであろう。その状況を逐一見ていた住民はその橋を安心して渡るであろうか?多分、NOであろう。人が考え出した基準を閾値として安全な物を造るのは当たり前、それよりも住民に安心して使ってもらえる構造物を追求し、造り出すのが技術者本来の姿ではないのか。

 さてそれでは、これまで説明した趣旨を基に社会基盤施設、それも橋を中心とした建設、維持管理における『安全・安心』について掘り下げて考えてみよう。まずは、最近やたらと多い不祥事と建設事故についてヒューマンエラーをポイントに考えてみた。