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インタビュー詳細

3つのLIFEを念頭に置き阪神高速の発展に邁進

阪神高速道路・吉田光市新社長インタビュー

阪神高速道路株式会社
代表取締役社長
吉田 光市 氏

 阪神高速道路の社長に吉田光市氏が就任した。国土交通省時代は、特殊法人改革や入札制度改革などに携わるなど辣腕を発揮し、人事課の調査官室で、労使協議に関わるなど会社の組織・人事上の手綱捌きに精通している。大規模リニューアル、淀川左岸線(2期、延伸部)、大阪湾岸道路西伸部などビッグプロジェクトを抱える一方で、建設を担った技術者が退職の時期を迎えている。そうした難しい時期にどのような組織の構築、新しいシステムの導入を図っていくのか、吉田新社長に聞いた。(井手迫瑞樹)


東大経済学部では石川経夫ゼミに所属

 国交省では特殊法人改革、入札契約制度改革を手掛ける

 ――学生時代及び国交省の入省後の印象的な仕事について

 吉田新社長 私は東京都出身で、高校は都立戸山高校でした。同校の前身は「(旧東京)府立四中」で歴史ある、非常に自由な校風で(※編注:日比谷高校(旧東京府立一中)に次いで2番目の古さ、生徒会活動は三権分立を特徴としているなど他の高校と一線を画する。国鉄に生徒が陳情して高田馬場駅に戸山口改札を作らせるなど行動的気風でも知られる。OB会の「城北会」も有名)、その校風にどっぷりと浸かっていました。進学校ではありましたが、受験勉強よりも高校での活動に重きを置いていました。クラブ活動ももちろんですが、学園祭も受験など関係なしで、高校3年の9月に行っていました。そのおかげで(笑)、当時は学年の3分の2が浪人していました。私も高校生活を謳歌しすぎて、その後先輩たちと同じように一年間しっかりと浪人して(笑)、翌年、なんとか東京大学の経済学部に入学しました。

 東大入学後、2年間は駒場キャンパスで過ごしましたが、高校生活の延長のような感じで、駒場祭で映画を制作したり、麻雀をやったりしていました。3年からは本郷キャンパスに移り、石川経夫教授(※編注:著書に『分配の経済学』など。専門は所得分配論、日本経済学会石川賞に名前を遺している)のゼミに所属しました。理論経済学のゼミでした。石川先生は惜しくも若くして亡くなられました(1998年6月に51歳で没)が、真摯で自分に厳しく他人に優しい人で、宇沢弘文(東京大学名誉教授、2014年9月に86歳で没)さんの影響を受け、岩井克人(東京大学名誉教授、現ICU特別招聘教授)さんの兄弟分のような方でした。

 週一回のゼミでしたが、ケインズ等の古典を原書で読んでいくゼミでした。ゼミを通じてアカデミズムや論理的なものの考え方を勉強させてもらったと感じています。ゼミの先輩ではそのまま学問の道に進む方もいれば、日本銀行等に勤める人もいました。その中で私は広い立場から物事にアプローチしたいと感じて公務員を志望しました。経済官庁を志し、通産省や建設省などを官庁訪問した結果、ご縁があって建設省に入省しました。

 入省後最初に配属されたのは建設業課です。建設省所管の業界は建設産業と不動産業ですが、建設産業を統括する課でした。入省したのは1982年ですが、相前後して静岡事件が起きました。入札談合が独禁法上違法な行為として認識される発端になった事件で、その後、自らも深く関わることとなる入札契約制度改革の契機となるものでした。それから36年4カ月奉職しました。

 後半は、道路、建設業、URの部署を数回ずつ回りました。

 道路とURで印象に残った仕事は道路関係四公団と都市基盤整備公団の特殊法人改革です。建設業関係では入札契約制度改革(一般競争入札や総合評価方式ダンピング対策など)に取り組みました。高度成長期から安定成長期になり特殊法人や建設業界を巡るシステムを時代の変化にどのように対応させていくか、制度面からサポートする業務に携わってきたように思えます。


「生の声」を翻訳して担当課に届ける

  労使の当事者の声に耳を傾けて丁寧に解決

 ――建設現場への従事は

 吉田 私は事務官ですので、直接の現場に携わったことはありません。強いて『現場』を言うなら、『文書課』時代を思い出します。今の官房総務課の国会連絡室です。各省が国会の質問を整理する窓口で、執務室も国会内にあるため、課長補佐でありながら室長と呼ばれていました。各省と国会議員が接する『現場』です。国会質問は、非常に「生の声」で満ちていました。役所は縦割り組織ですが、世の中で起きる課題は組織に沿う形ではなく、広い範囲で総合的に生じます。其の事例に対する答えをどの課に引き受けさせるのが妥当か交通整理をする室であり、大変苦労しました。

 もう一つは人事課の調査官室時代で、ここでは労務を担当していました。8地方整備局約230事務所があり、全地方整備局の現場の様々な課題が調査官室には上がるようになっていました。本省の仕事はある意味机上で、そこで決定したことが現場ではスムーズに廻っていないということもしばしばあり、現場の重要性を勉強させてもらいました。当事者の意見に耳をかたむけながら丁寧に解決する姿勢で事に当たりました。

 また、公務員生活最後の数年は、復興庁への出向も含め、頻発する災害への対応、復興事業に携わりました。


社員とはインフラを守る同志

 経営の主軸は『先進の道路サービスへ』

 ――阪神高速道路社長就任の経緯と抱負について

 吉田 前任の幸は阪神高速に入社して、ほぼ半世紀勤められました。彼は阪神高速道路に勤める社員の父であり、兄であるような方です。なかなか幸さんのようには参りませんが、私も建設省入省後、広い意味でインフラ整備に関わってきたわけで、社員の皆さんとは同志であると考えています。国交省で培った経験を余すことなく注いでいきたいと考えています。

 さて抱負ですが、地方創生やまちづくりで重視されている言葉に「3つのLIFE」があります。1つは「命」です。

 まずは地域に暮らす人々の命、健康を守るための医療体制などの確保、充実ですね。

 2つ目は「生活」です。地域で生活するための産業や雇用の充実などです。

 3つ目は「人生」です。地域に住む人々が自分の住む故郷に誇りをもって豊かに暮らせなければいけない、ということです。


 この3つのLIFEを高速道路事業、我が社に当てはめると、まずは「命」。まさしくお客さまの命を預かるための安全・安心のサービスを徹底することです。「生活」は関西の皆さんの生活、暮らしの下支えです。阪神高速道路は阪神間の物流の5割を担っており、まさに関西の大動脈と自任しています。24時間365日高速道路サービスを途絶えさせないことが重要です。「人生」は、社員一人一人の人生の充実、満足です。仕事を通じて人間として成長し、日々気持ちよく人生を送れることを実現させたいと考えています。加えて阪神高速道路の社員だけでなく、事業パートナーであるコンサルタント会社や施工会社の従業員の満足度も上げられればと思います。後でお話ししますが、コミュニケーション型共同研究やHi-TeLusのような技術もそのことにつながるものです。「阪神高速道路と仕事して、そんなに大儲けは出来なかったけれども、仕事は楽しく、共に社会に対して新しい価値を提供できたし、当社の社員も成長できた」と事業パートナーから言ってもらえるような会社にしていきたいと考えています。




「仕事は楽しく、共に社会に対して新しい価値を提供できたし、当社の社員も成長できた」
と事業パートナーから言ってもらえるような会社にしていきたい

 さて、当社の経営方針は『先進の道路サービスへ』です。これは変わらぬ我々の経営の主軸です。一方では世の中の変化に合わせていかねばなりません。少子高齢化、災害の頻発・激甚化、デジタル化はその主要キーワードと言えます。その際も「先進の道路サービスへ」、という言葉を羅針盤のようにして大切にしていきたいと考えています。また、先進の道路サービスの提供は一人の力ではできません。道路づくりは非常に幅広いものであり、単に構造物を作るものではなく、地権者交渉や沿道にお住いの方々の考えの取り入れなど色々なことに対応するため、技術者だけでなく事務系社員も含めて会社の力を結集することが必要です。

 加えて、道路サービスは、ソフトやシステムの提供も含みます。そのためにはグループ会社を含め様々なバックグラウンドを持つ社員一人一人の力の結集が不可欠です。

 社長としては目標に向かって力と気持ちを合わせていくような環境を整えていくことが重要だと感じています。


 具体的な事業としては、淀川左岸線の2期・延伸部と大阪湾岸道路西伸部という関西の発展に不可欠な二大プロジェクトを着実に前進させていきます。淀川左岸線延伸部は一部大深度地下がありますし、大阪湾岸道路西伸部は長大斜張橋の建設を要します。これらは全て先進技術が必要になります。我々だけでできるものでもないため、産官学含めての叡智の結集が必要です。ここで得た技術的知見は当社だけでなく、学会や業界と共有できる次の時代に生きる財産です。

淀川左岸線延伸部縦断面図

大阪湾岸道路西伸部縦断面図

同全体図