道路構造物ジャーナルNET

人・資料・組織の結実

NEXCO西日本 関西国際空港連絡橋復旧への軌跡

公開日:2019.05.31

 西日本高速道路が管理する関西空港連絡橋は、この4月8日に完全復旧した。2018年9月4日の被災以来、ほぼ7ヵ月での完全復旧である。「7か月」この短期間で2径間、約188mの桁を撤去し、製作し、舗装し復旧にこぎつけるため、関係者はどのように動いたのか、NEXCO西日本(以降、「NEXCO西」)、IHIインフラシステム(以降、IIS)、深田サルベージ建設(以降、「深サル」、松和工業(以降、「松和」)などに取材した内容をまとめた(5ページに渡ります)。(井手迫瑞樹)

発生(9月4日)
 思えば、この年はNEXCO西日本にとって悪い意味での「当たり年」だった。7月豪雨によって、山陽道などは大きく被災し、四国でもがけ崩れによって橋梁が崩落するという前代未聞の事態に見舞われた。そこに関空連絡橋へのタンカー「宝運丸」の衝突である。宝を運ぶ船と命名されたその船の規模は全長89.95m、総トン数2,591t、さらにバラスト水1,260tと燃料約55tを積載していた。これが同日13時45分ごろ、右弦からA1-P2(P1付近が中心)の間に衝突した。不幸中の幸いは台風の影響により、直前の13時20分から通行止めにしていたことで、死傷者はいなかった。NEXCO西日本が衝突を確認したのは15時25分である。本社の防災本部内でモニター越しにその状況が映っていた(上写真)
 すぐにNEXCO西日本と同社グループの技術者数名からなる調査メンバーを編成して調査したが、夜間であることや海上であることから危険なこともあり、調査は被災していないと思われる上り線(北側)と路面状況が主体となった。桁が移動しているという概要は確認できたが、詳細は翌朝を待つことになる。
 調査と並行して、復旧の体制作りも進めた。同径間は、旧松尾橋梁、栗本鉄工所という現在のIHIインフラシステムが親であったJVで架設されたことから、すぐに同社に対策を打診した。同社は、「緊急事態であり、会社の総力を挙げて対応する」方針を決めるとともに、(桁架設に携わった)深田サルベージ建設や、主要架設協力会社の松和工業などに連絡し、調査及び人員や設備などの協力を請うた。

詳細調査(9月5日)
 翌朝の調査は、NEXCO西、IIS(深サルも同行)によって行われた。健全性が確認された上り線の桁の中を伝って、下り線のP1、P2の桁まで到達して確認したその情景は「想像できない衝撃だった」(NEXCO西・佐溝純一氏)。船の衝突で桁のウエブに穴が開いている状況だった。衝撃痕はP1とP2の橋脚を跨いだ3径間分にわたって残っており、桁はP1位置で1.5m、P2位置で4m、道路橋に並列する鉄道桁の方へ動いていた。P1、P2の伸縮装置は橋軸直角方向へ大きく変形し、P1、P2のピポット支承は上沓と下沓が分離して橋桁が橋脚上に直接載っていた。


桁の損傷状況①

桁の損傷状況②

支承の損傷状況/伸縮装置の損傷状況

 移動した桁は「鉄道桁にもたれかかるような状態になっていた。ずれた橋桁が斜めに傾いて鉄道桁上に被さり、道路橋の張出し鋼床版と鉄道橋のブラケットや検査路が噛み込んでいる状態になっていた」(深サル)。そのため、撤去に当たっては噛み込んでいる箇所をどうにかする必要があった。
 現場を見た結果、損傷の酷い2橋は再利用するにせよ、製作して架設するにせよ、撤去することに決まった。IISではプロジェクトマネージャー(PM)に内田裕也氏を任命し、その下に設計部員6人、建設部員13人を付け、さらに堺工場も関空連絡橋復旧への対応を最優先にする「関空シフト」を構築した。

次ページ 応急復旧・立案・撤去準備(9月5深夜~7日)

ご広告掲載についてはこちら

お問い合わせ
当サイト・弊社に関するお問い合わせ、
また更新メール登録会員のお申し込みも下記フォームよりお願い致します
お問い合わせフォーム