道路構造物ジャーナルNET

⑲設計について 設計基準、標準設計、設計の変化

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2021.03.01

 前回、国鉄構造物設計事務所でのメンテナンスの相談について紹介したので、この組織の中心業務であった設計に関して紹介をします。設計基準、標準設計、設計の今後の方向などについても述べたいと思います。

1.構造物設計事務所(構設)

1.1 構設の概要
 構設が研究所から戦後分かれたのは、戦後の荒廃した鉄道を復興するために、多くの標準設計や特殊設計を実施する設計の業務量が大幅に増えたためとのことです。橋梁は明治時代から鋼橋が中心で、コンクリートは高架橋と比較的短い橋梁に使われていました。構設の一番大きなパートは鋼構造で、鋼橋の設計、製作工場の認定、溶接技能者の認定等、ここで国鉄すべての鋼橋について集中して実施していました。
 コンクリートの高架橋やPC橋梁が増えるにつれてコンクリートパートの人数も増えてきましたが、標準設計と、特殊橋梁、長大橋などをコンクリートパートは担当していました。また構設は鉄道の設計標準の改定も担当していました。構設で設計あるいは審査したものは所長まで、すべての図面にサインしていました。
 研究所は別にあり、ここでは研究、開発が行われていました。開発が終わり、実施の段階になると、その業務は構設に移されました。私が最初に担当した軌道スラブの設計も、それまでは研究所で開発してきましたが、全国的に実施する段階に来たので、私が構設で最初に軌道スラブの設計を担当することになったのです。写真-1はそれまでのバラスト軌道で、写真-2はスラブ軌道です。


写真-1 バラスト軌道/写真-2 スラブ軌道

 設計理論が確立していない分野は構設ではなく、研究所の担当です。斜面の落石の研究や、トンネルの分野や、雨による盛土崩壊の研究などです。

1.2 構設に求められたこと
 特に、構設に求められた仕事の進め方を以下に紹介します。
(1)必要な期限での判断
 構設に求められたのは、現地の指導でしたので、必要な時期までに判断することでした。現状の技術レベルで最善の判断をすることが求められた組織です。
 設計の方針や災害復旧などは決められた期日までに判断しないと、工期に間に合わなくなります。そのため工期を遅らせない期日までに判断することが求められました。
 メンテナンスの相談でも、車の桁への衝突などで列車を止めている場合などでは、すぐに復旧が必要なので、すぐに判断することが必要です。動いている現場の指導で期限があるものは、100点でなくても及第点であれば、期限を守るほうが大切です。期限を超えた回答は、正解でも0点です。
 耐久性に係る相談は比較的時間にゆとりがあります。

(2)現地の業務を減らす
 現場から相談を受ける技術者にとって大切なことは、判断の期限を守ることと、相談に来た人の仕事を減らしてやることです。相談に来て多くの調査などが必要になるようでは、現地の仕事が増えてしまいます。
 相談に来るということは、悩みを解決し、仕事を楽にしたいからです。相談しても、楽にならないような回答をする人のところには誰も相談に行きたくありません。現場が役に立っていると思ってくれない組織は不要な組織です。

(3)メンテナンスのトラブルから、設計、施工の基準を速やかに変える
 メンテナンスでのトラブルの情報を建設側に伝え、原因の設計や施工を修正しないと、同じトラブルの生じる構造物を造り続けることになり、欠陥構造物が減らないことにもなります。またメンテナンスの側は、設計、施工の状況がわからないと外観からの対症治療になりがちです。
 この組織では、メンテナンスの指導と同時に、設計や施工の技術基準の原案も作っていました。メンテナンスでの問題の原因が、多くは設計あるいは施工にあるので、設計や施工基準もすぐに改定するようにしていました。PCのグラウト不良など、メンテナンスでの問題が発見された都度、設計、施工の基準を変更するのは当然ですが、設計が終わったもので施工前のものも変更してきています。
 特に印象に残っているのは、撤去したPC下路桁を解体調査した結果、鉛直鋼棒がコンクリート内部で腐食破断しているものが多く発見されたときです。すぐに、設計中のものは鉛直鋼棒の設計をやめ、PC構造からRC構造に変え、施工前のものは当時工場製品としてあった、アンボンド鋼材に変えて、現場での鉛直鋼棒のグラウト作業は一斉にやめたことです。


写真-3 下路桁の鉛直鋼棒の破断と飛び出し跡

2.JR東日本に構設と同様の機能の構造技術センターをつくる

 1987(昭和62)年に国鉄がなくなり、JRとなり、構設のような組織がなくなりました。この組織に所属した人は、各JRや鉄道総研、鉄道運輸機構 に分かれました。私が行ったJR東日本にもこのような組織はなくなってしまいました。
 しばらくして、設計や施工、あるいはメンテナンス上の問題が生じたとき、相談すべき中心組織がなく、現地での判断となり現場で悩むことが多くなりました。私自身もJRでの最初の勤務は、東北地方の工事の技術面の責任者でしたが、専門でない技術的問題の判断に迷った時には、別の組織にいるその分野の技術者に相談したりしていました。コンクリート構造物での問題の時は、直接私に各組織から相談があったりして、このままでは現場ごとに、そこの技術者の技術レベルで判断することになり、判断が間違って行われてしまうのでは、という心配が生じました。
 専門技術者には容易に正しい判断ができることも、そうでない技術者は判断できず、多くの検討を繰り返し、結果間違った判断をしがちです。
 そこで、JR東日本社内に各分野の技術者を集めた組織を作り、建設と保守すべての土木、建築技術にかかわる相談を受け、情報を集約する組織を作るように関係箇所に働きかけました。とりあえず暫定組織で構造技術プロジェクトチーム(PT)ということで発足しました。
 現地からの相談にのってみると、専門技術者から見ると、それほど技術的に難しくないことにも現場では悩んでいました。相談できるその分野の専門技術者がいないと担当者が一人で悩んでしまい、また間違った判断をしてしまうことが多いのです。
 現地のどんな相談にも、また些細な悩みにも答えることをPTのメンバーの技術者には粘り強く続けてもらいました。1年程度すると、一度答えた事柄については次回からは現地で対応できるので、些細な相談はだんだんと減ってきました。現場からの相談の内容のレベルも上がってきました。このような技術の専門組織で相談に答えることが、現地の技術者の技術レベルの向上に大きく貢献することを実感しました。また相談に乗ることで、答える方の技術者も現場の問題や悩みがわかり、問題点の把握ができ、また答えることで自らの技術力も向上することとなります。
 阪神大震災の後、この組織は正式な組織となりましたが、この時会社のトップからは、「技術基準を守るだけの組織ならいらない。基準を超えた知恵の出せない組織はいらない」と強く言われました。


写真-4 阪神大震災の新幹線高架橋

3.鉄道の設計基準

 設計基準や施工の基準の原案作成も構設が担当していました。私もこれら基準の改定を何度か経験しました。また学会の示方書の改定も委員や幹事としても長いことかかわりました。
(1)実構造物の不具合にはすぐ対応、理論の導入は慎重に
 国鉄時代の技術基準の改定の基本的な考えは、実構造物での不具合を直すために、基準を直すという考えでした。ですから、できるだけ直す条文部分を少なく、どこが直ったかがすぐわかるような直し方でした。当時は、学会の示方書も同じような精神で直していました。前の示方書の文が大幅に書き直されるというような直し方はしていませんでした。また研究成果の設計標準への取り込みには非常に慎重でした。
 鉄道の標準はそれですぐ実構造物がつくられるため、標準の条文の根拠の実験などと異なる条件でも使われるので、ほぼ大丈夫という事項でも、上司からは麻雀用語でリャンハンはだめだ、イーハンずつ改定しなさいといつも言われました。実構造物に取り入れて、さまざまな構造物で不具合あるいは不都合なことがなければ、次の改定でイーハン加えなさいと言われました。
 設計は、計算式だけでなく、安全率、荷重の大きさの決め方、計算モデルの考え方などが組み合わせで成り立っています。実物に不具合が生じると、この組み合わせのどこかを修正して不具合に対応しています。
 設計はゴルフでOBの球が木に当たってグリーンに乗っているようなもので、全体で結果オーライとなっているので、中途半端な勉強でその部分だけを直すとOBになってしまうよ、とも注意されていました。

(2)コストダウンができないなら,基準改定に係る技術者はいないほうが良い
 安全を高めるのは当然ですが、「コストアップしないようにしなさい。基準を変えるならコストが下がるようにしなさい。多くの時間と労力をかけて、結果がコストアップというなら、君らは存在しないほうが良い」と言われ続けました。
 技術基準に係る技術者は、コストに対して意識を持つことが必要です。

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