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第43回 降雨による盛土崩壊

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ株式会社)

石橋 忠良

公開日:2023.03.01

 今回も雨による被害の例を紹介します。盛土の崩壊例です。盛土の崩壊は、国鉄時代も、またJRになった当初も、毎年のようにどこかで起こっていました。JR東日本になってから、降雨対策で主要線区の盛土の対策が進んできましたので、主要線区での盛土崩壊は非常に少なくなってきました。今回紹介するのは、比較的輸送に大きな影響が生じた被害2例です。この2例はいずれも8月の最終週の金曜日に起こっていることで、私には印象に残っています。
 8月の最終週の金、土、日は、国鉄の構造物設計事務所のテニスをするメンバーが毎年、軽井沢の民宿に集まってテニスをしていました。JRになって、そのメンバーも全国に分かれましたが、それでもこの集まりは今でも続いています。当時のメンバーはだいぶ少なくなり、子供さんなども加わって続いています。私も最近はテニスを朝から夕方までし続けるのは厳しくなったので、欠席しがちです。その代り、今の住まいの近くのコートで同世代の人たちと健康維持とコミュニケーションを目的に週に1~2回テニスをしています。
 今回紹介する2つの災害は、ちょうど、軽井沢に行く金曜日に起こり、参加を急遽取りやめています。そのようなわけで、8月末の金曜日の災害は印象に残っています。

1.東北線の盛土崩壊1)

1.1 災害の概要
 1998(平成10)年8月28日(金)6時45分頃、台風4号通過による豪雨で、列車運転を止めて、線路を巡回していた黒磯保線区社員が、東北線 黒田原-豊原間で、盛土崩壊を発見しました。崩壊発見時、上り線レールははしご状に宙に浮いており、電柱3本も倒れていました。
 崩壊規模は、高さ約22m、延長約100m、崩壊土量約20000m3と推定されました(写真-1/図-1)。


写真-1 災害の状況

図-1 崩壊断面(概略)

 崩壊した盛土部は、1919(大正8)年に単線開業、1963(昭和38)年に下り線側が腹付線増により複線化されています。下り線側は張りブロックで防護されています。崩壊は、上り線側(旧線側)盛土で発生しました。崩壊前の上り線ののり面は中段に小段(犬走り)があり、のり勾配は小段より上は1:1.5で、小段から下は1:1.9です。
 この場所は栃木県北部に位置し、周辺は那須火山の活動の火山砕屑物で構成される丘陵地であり、その丘陵に囲まれた谷部です。この谷を渡るように盛土(約200m)を構築しています。谷を通って黒川に注いでいる八景保沢が、水路トンネルとして盛土下部を横断しています。盛土材料は現地の那須ローム(火山灰質粘性土)が使われています。
 下り線側の丘陵と盛土との間の水は線路下を通って排出されますが、その線路下横断の水路が塞がってしまい、下り線側の水位が大きく上がったことが、この上り線側の盛土崩壊の原因と推定されています。

1.2 盛土の復旧
 防災面では、横断の水路を増やすことや、落ち葉などで水路が閉塞しないように点検を増やすなどの対策が別途行われますが、ここでは直接的な盛土の復旧について紹介します。
 復旧の一番の問題は、いつものことですが、現場への資機材の搬入ルートです。民地を交渉の上、借地して資機材の搬入ルートを確保しました。また盛土の材料として、現地の休耕田を交渉して、その土を利用することとしました。土質は那須ロームなので、そのままでは盛土材料として適しません。そこで、ロームに生石灰、あるいはセメントいずれかを加えて盛土材料とすることとしました。試験の結果、含水比、一軸圧縮強度などで比較の上、生石灰を加えて使うこととしました(表-1)。


表-1 生石灰の配合割合と強度

 図-2に盛土復旧の設計図を示します。
 底盤改良は、事前に線路直角方向に暗渠2本を敷設して、地下水位を低下させたうえ実施しました。改良範囲は崩壊前の地盤付近までの1.5m~2mの深さとしました。排水ブランケット(厚さ50cm)は、下層盛土の最下層に設置しました。未崩壊盛土と斜面上の崩壊土を一体化させるため、H型鋼(300H)を2mピッチに3段配置しました。
 上部盛土は未崩壊盛土と新設盛土が密着するように入念な施工をするとともに、切り取り区間からの水の侵入を防ぐように腹付盛土両端部に砕石による横断排水溝を設けました。
路盤はクラッシャーラン(C-40)30cm厚としました。
 この盛土復旧と軌道や架線の復旧が終わり、盛土が崩壊した8月28日から1カ月弱の9月25日に運転再開となりました。


図-2 盛土の復旧設計図

1.3 復旧工事 恒久対策
 運転再開後に実施した恒久対策の概要を図-3に示します。恒久対策として以下の工事を実施しました。
 ・プレキャスト格子枠構
 ・崩壊箇所以外の抑止杭、格子枠工補修
 ・線路横断排水管敷設
 ・のり面排水溝敷設(縦下水、側下水など)
 ・八景保沢水路延伸、護岸整備
 ・のり尻排水土留め新設


図-3 恒久対策

2.御茶ノ水駅路盤陥没2)3)

2.1 概況
 この災害は、1993(平成5)年8月27日(金)に発生しました。JR東日本の構造技術センターの前身の構造技術プロジェクトチーム(PT)がこの年の2月に発足しています。この組織は、1995年の阪神大震災の後に構造技術センターとなっています。この災害の復旧設計など発足したばかりですが、構造技術PTが実施しています。
 中央線のお茶の水付近は、本郷大地(洪積台地)を開削して造られた神田川右岸の斜面中腹部に位置しています。1904(明治37)年の複線開業時に設けた土留め壁(石積コンクリート造)のさらに神田川側に鉄筋コンクリートの土留め擁壁を増設して路盤を拡張し、1933(昭和8)年に複々線開業しています。
 1993(平成5)年8月27日、台風11号の異常な降雨により、図-4に示すように、土留め壁と、土留め擁壁間が約100mにわたって最大1.5m深さで陥没し、その上にあった中央快速(上り)線の軌框が梯子状になる災害が生じました。図-4に災害発生箇所を示します。
 8月27日の日降水量は234㎜と、中央気象台の過去118年間では第3位でした。また3時間連続降水量も142㎜に及びました(図-5)。


図-4 災害発生箇所

図-5 時刻と降雨量

 この異常な降雨と周辺環境の変化により、都市下水が都下水管を通して大量に、2k607m付近(お茶の水橋付近)の線路内に流入し、線路下横断排水路で処理できない水が溢れだし、鉄道敷の降雨と相まって線路が冠水しました。その後土留め壁から神田川にオーバーフローするようになり、のり面工破損部、排水管および土留め擁壁の目地からは濁水が確認されました。
 下水の溢れだしから約2時間後には中央快速線(上り)において約100mにわたって約300m3の路盤が陥没しました(写真-2)。土留め擁壁は神田川側に約20cm滑動し、土留め擁壁天端で約10cm川側に傾斜していました。また土留め擁壁の沈下も約10cm生じていました。


写真-2 中央快速線(上り)路盤陥没状況

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