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㉒北九州空港連絡橋(その2)

現場力=技術力(技術者とは何だ?)

株式会社日本インシーク
技術本部 技師長

角 和夫

公開日:2021.07.01

(1)はじめに

 6月20日に緊急事態宣言が解除(現在は、まん防)され、3週間後には57年振りの東京オリンピックが開催される。1964年の東京オリンピックは「戦後復興の証し」と大会終了後に叫ばれたのだが、オリンピック開催前の国民感情は違っていたようだ。開催決定直後から、時期尚早論や返上論が語られ、関心を持たない人も多かったようだ。経費の膨大さと財源の確保、施設や道路、ホテルなどの受け入れ態勢、外国人に慣れない国民性、競技に対しての日本人の技量等、多くの不安があったようだ。では、今とどう違うのか。世界の超大国(?)になった日本は、財源等の話は別として1964年当時の課題は全てクリアしている。ただ、「新型コロナの感染と抑え込み」という新たな難題に立ち向かっている。昨年、オリンピックの延期が決定された際、「新型コロナに打ち勝った証し、として東京オリンピックを開催する」との発言があった。そうなって欲しいものだが……。
 今回は、前回に引き続き「北九州空港連絡橋(その2)」として、事業スタートまでの四方山話と技術的な話題として基礎形式の検討・決定について紹介する。

(2)(旧)北九州空港から(新)北九州空港へ

 (旧)北九州空港(1944-2006)は、(新)北九州空港の開港に伴い2006年3月に閉鎖された。三方(東以外)を山に囲まれ、霧が発生し易く、度重なる欠航に悩まされていた(図-1参照)。

 更に、山陽新幹線(博多~岡山)開業に伴い利用客が大きく減少した。新幹線に対抗するには輸送量の増加と高速化が必要である。このためには当時の1,500mの滑走路を2,500mに拡張し、ジェット機化への対応が不可欠であった。しかし、滑走路の一方は山に囲まれ、もう一方は曽根干潟に面しており、環境保護の観点から埋め立ては不可能であり、滑走路の延伸を断念せざるを得なかった。1970年代以降は、ジェット機が就航可能な2,500m級の滑走路を持つ空港の検討が行われた。度重なる陳情の結果、ついに四空整(第四次空港整備五箇年計画)で事業採択され、新門司沖(及び苅田沖)土砂処分場への新空港建設が決定した。
 空港整備事業のスキームは、①運輸省港湾局が港湾整備事業の一環として、新門司沖土砂処分場(及び苅田沖土砂処分場)を建設し、関門航路(や苅田港)の浚渫土砂を投入する、②運輸省航空局がこの土地を流用して面積373haの空港島を建設し、2,500mの滑走路を持つ海上空港を建設する、というものである。
この空港の特筆すべき点は、「完全埋め立て工法」による関西国際空港や中部国際空港と比
較して超破格のコストで海上空港が建設されたことである。因みに、空港建設に要したコストを比較すると以下の通りである。総コストの差は、平均水深の違いと地盤条件の差である。

 ①北九州空港建設費(373ha) 約1千億円(+アクセスは県道として整備;0.6千億円)
 (護岸築造、埋立て土砂投入は港湾整備事業にて約1,500億円)
 ②関西国際空港(510ha)  約1兆4千億円(第1期)(+アクセスは私道;1.5千億円)
 ③中部国際空港(471ha) 約6.4千億円(アクセス込)

 私自身、旧北九州空港は東京出張の際も利用する機会はなかった。その理由は、福岡空港が自宅(官舎)から60分圏内という至近距離であったこと、山陽新幹線が非常に便利(30分圏内)であったこと、旧空港は便数が少ない(当時は、東京便が1日2便のみ)上に霧による欠航率が非常に高かったこと、料金が高かったこと、による。1995年当時、北九州市職員の東京出張の際は旧北九州空港を優先的に利用するように、とお達しが出ていたと記憶する。地元の海事関係者等へ交渉に行った際など、空港・空港連絡橋建設への期待をひしひしと感じた。

(3)新組織の発足

 1995年5月1日、福岡県土木部内に北九州空港連絡道路建設事業(総事業費約600億円)を担当する新北九州空港連絡道路建設室(以下、「建設室」という)が発足した。それまでの漁業交渉・補償、空港連絡橋計画及び委員会運営等の実務は、企画振興部空港建設対策係(後に、空港連絡道路建設係)で行われていた。空港連絡道路の整備手法・スキームについては、道路建設課・空港対策課を兼務する宇留島補佐が担当していた。本四公団(私)との折衝は、宇留島補佐と建設係で行われた。この空港建設対策係に凄腕・頭脳の係長がいた。早稲田出身の松本係長である。前回紹介した技術専門委員会の事務局を担当して頂いた国府寺部長と私と松本係長は現在も親交のある大親友である。委員会や技術検討等の費用の調達は宇留島補佐と松本係長が仕切っていた。建設室発足から2週間後に辞令が発令された。いよいよ福岡県庁に単身乗り込むことになった。とりあえず、事務屋・技術屋を合わせて総勢10人程の所帯である。工期10年、600億のビッグプロジェクトのスタートである。新組織には県庁及び県内15の土木事務所からピックアップされた精鋭が集まった。

「裏話」
 1994年秋、福岡県企画振興部(及び土木部)、本四公団企画部及び私の3者による話し合いが福岡県庁内でもたれた。福岡県への技術支援策として公団から3案が示された。

 ①案・・・県職員を短期間毎の交替で公団内の何れかの組織に受け入れる。この場合、海峡部長大橋を担当する組織とは限らない(約束できない)。
 ②案・・・①案の期間を比較的中・長期とする。この場合も組織は未定。
 ③案・・・本四公団から職員を長期間出向させる。

「海峡部長大橋の現場とは限らない」というこのやり方には正直「唖然」とした。本四公団発足当初は、当時、道路公団が建設中の「関門橋」や「帝釈橋」という長大橋の現場に受け入れてもらった過去があるのに。立場変わればこんな扱いをする公団なのかと。①・②案については、技術支援に馴染まないので福岡県の方に蹴って頂いた。当然である。本命の③案について公団側に意外な思惑があった。宇留島補佐から聞いてびっくりした。「県に来るのは角さんじゃないようです」と。「ポスト待ち(副所長)の人が居るらしく、その人を充てたいようです」と。

 これには伏線があった。直後に公団からJICAの長期専門家としてサウジアラビアへの派遣を打診されたのである。サウジアラビアは本四公団では初めて派遣する国で、将来の為にもなると必死に説得されたのである。この件に関しては色々な講演会で笑い話として紹介していることがある。本四公団から「サウジアラビアでは、スエズ運河架橋の面倒を見てもらいたい」と真面目な顔をして言われたのである。これ以上は相手の恥になるので書きませんが(スエズ運河架橋はエジプトだよ)。最終的には、福岡県サイドの提案で「角さんに最終判断してもらいましょう」ということになった。幸運だったのは公団担当者が宇留島補佐の壬子会の後輩だったということである。福岡行きは3年前からの既定路線であるので当然のことながらJICA専門家の超厚遇はお断りした。

(4)耳を疑う提案

 建設室に着任早々、当時のプロパーのT土木部長に呼び出された。事業計画を説明した後、T部長から突拍子もない提案があった。「空港連絡橋は、県の道路公社で行うから。角さん含め建設室のメンバーは道路公社に出向してもらうことになる」と。プロパーの係長さん達は、このことを薄々知っていたようだった。この土木部長は県を退官後、県道路公社の理事長に就任する予定であり、世間でよくある「お土産」にしたかったようだ。プロパー職員は、T部長には逆らえない。何故か。バックに有力者(議員)が付いているから。どこにでもある話である。されど、私は県職員ではあるが、プロパー職員ではない。このビッグプロジェクトを「道路公社にだけはやらせたくない」と、その時決意した。

(5)整備手法の提案と実行

 北九州空港は、1981年の第4次空港整備5箇年計画で新規事業採択され、その後の整備5箇年計画でも引き続き採択された。満を持して、1994年10月に空港島建設工事が本格着工した。アプローチとなる空港連絡橋は、地域高規格道路として整備され、事業費は約600億円。内訳は、海上区間の工事費が525億円。両サイドの陸上部工事費が75億円である。将来的には、東九州自動車道苅田インターチェンジから空港島まで一気通貫でアクセスする予定であるが、開港時(2006年3月)は苅田ICを出た後、JR及び国道10号線上を通過し、平面道路に接続。その後、新松山埋立地を経由して空港連絡橋へ接続する(図-2参照)。

①事業スキーム
 海上橋事業費525億円の内、325億円は補助事業で、残りの200億円は有料道路事業で実施するスキームである。しかし、このスキームには大きな問題点があった。有料道路事業で償還可能なのか。当時の試算では片道徴収で1回1台300円。24時間離発着可能な空港ではあるが、24時間の実運用が果たして可能なのか(航空貨物程度か)。利便性では福岡空港には絶対勝てない。圏域200万人とPRしたが実際はどうなるのか。山口宇部、福岡との利用客の取合いは? これらを考えると空港利用者が想像を外すぐらいに増える可能性はほぼゼロだ。つまり、高速道路の予測通行量の如く、予測交通量水増し戦術では将来破綻する。また、将来の維持管理費の負担もある。

 そこで、有料道路事業からオール補助事業に舵切をすることにした。当時、建設省から出向されていた道路建設課の梶課長(後に長崎県土木部長、建大校長)、中島課長に御苦労頂いた。予算上は、50%補助で県の支出総額は262.5億円(525×0.5)。年単純平均で26億超の予算を10年間、空港連絡橋事業に集中投入することになる。この結果、県内の道路事業は限られた予算内で執行することになる。この決断により少数ではあるが陰口を叩く人も居た。しかしながら、この事業をやり遂げようという同じ釜の飯を食ったプロパー職員・大学の先生・コンサル関係者に助けられた。そこまでしてでもこの連絡橋事業を成功させたいという信念が皆一様にあったのである。

②最終的なスキーム
 北九州空港連絡橋の費用負担は、国50%:県50%となった。県の50%の中身は、95%を県、残り5%を北九州市と地元苅田町とで折半である。アプローチの平面道路は県単費である。

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