道路構造物ジャーナルNET

耐候性鋼材などの診断、補修技術も検討

橋の架け替え3原則、橋の減築を提唱

一般財団法人 土木研究センター
理事長

西川 和廣

公開日:2016.01.01

 2016年のオープニングインタビューは、かねてからオファーしていた西川和廣・財団法人土木研究センター理事長に、保全新時代を迎えた日本の道路とりわけ橋梁をどのように守り、あるいは勇気のいる更新という判断を適切に行っていくべきか、主にインハウスエンジニアリングの見地から論じていただいた。その内容はインハウスエンジニアのあり方だけでなく、橋梁保全に係る技術者全般への示唆に満ちている。加えて土木研究センターとして取り組んでいる耐候性鋼材を用いた橋梁の診断・補修技術についても語っていただいた。(井手迫瑞樹)

架け替え判断は勇気のいる決断

 ――提唱している橋の架け替え3原則について、自治体の状況を考慮しながらその意図について教えてください
 西川理事長 橋の架け替え3原則は、①不治の病を発症していること、②十分長い延命効果が期待できないこと、③少なくとも今後30年は必要とされること――からなっています。点検と健全性の診断は曲がりなりにも動き出し、速やかな補修・補強が必要か否かの判断は行われるようになりましたが、架け替えが必要との判断は意外に難しく勇気の要る行為で、その決断を支援するために原則を示したものです。ただし地方自治体の状況によっては、むやみに架け替えてはいけない場合があるので、それを加味した3原則になっています。


架け替えは判断が難しい(写真はイメージです)

 ――①から具体的に
 西川 ひとつは今の技術では完全には治らないものであること。金をかけて補修・補強しても、すでに完治できない状況に至っていることです。一番分かりやすいのが塩害です。これはコンクリート橋、鋼橋問いません。現在、海からの飛来塩分によるものだけでなく、凍結防止剤散布によっても塩害が生じています。これが架け替えの最大要因になると考えます。とくに鋼橋の腐食は次の5年で最大の問題になるのではないかと感じています。それ以外は高速道路など重交通路線の疲労損傷などが該当しますが、これは全体から見るとレアケースでしょう。



塩害がある程度進んだ橋梁は補修しても限界がある。(写真はイメージです)

鋼橋の腐食。層状錆が生じている

 でも不治の病だから架け替えましょうと言っても、なかなか自分では決断できないんですよね。いつまでなら持つのか、まだ大丈夫なのではないかと聞いてくる人が必ずいる。そういう人たちには潮時を見せたほうが良いと思ったのが、3原則の二つ目です。

潮時を知る
 補修には限界がある

 ――では②を具体的に
 西川 損傷が限界を超えて進んでから行う補修は基本的に延命策です。完治するわけではありません。ただ延命策にもいろいろ幅があって、塩害橋でいえば割と早い時期に電気防食を始めて、かつうまく機能した場合はかなり有効な延命策になります。ただ、既にコンクリート中に多くの塩分を含有してしまった構造物に表面被覆や、断面修復をしても10年ともたない場合が多くあります。防食効果があるという薬剤を用いて局部的に上手くいったとしても、次にその周辺がマクロセル腐食によってやられてしまうため、その効果にはどうしても限界があります。
 補修したけれど10年(1、2年のことも)ともたなかったという現実は、さらなる延命を諦めるためにも1度見る必要があるのだろうと思います。潮時を知る、というのが2番目です。直轄、県の主要道路まではこの2原則でいいと思います。
 ――しかし過密路線や代替路線のない個所では架け替えを躊躇せざるを得ない個所もあるのではないですか
 西川 地形的な条件や交通量の面からとても架け替えられない、と思考停止してしまう人が多いですが、そういう橋ほど早くから架け替えのシミュレーションをするなど、準備をしておく必要があります。早くから準備しておけば、交通規制し易いタイミングが見つかるかもしれないし、架け替えのための技術的な工夫を広く集めることもできるかもしれません。現場に見合った技術を開発する時間も取れます。ギリギリの状況で架け替えを余儀なくされてしまえば、そんな余裕もなくコストも高くついてしまいますし、いい工事もできません。
 ――③については
 西川 市町村、県によって情勢は様々に違うと思いますが、人口減少、高齢化が進むいわゆる「限界集落」が既に相当数ありますし、今後も増えていくことが予想されます。厳しい言い方をすれば、小学校がなくなったところは、次の世代の再生産をあきらめたことになるので既に限界集落であると言うこともできます。そのように定義づければ、限界集落と呼ばれるエリアは現在よりもさらに広がります。そして行政はその一番酷な状況に向き合わなくてはいけない責任があります。しかし、限界集落の行政サービスを完全に閉じるには、人が住んでいる以上長い時間を必要とします。
 限界集落の多くは、今から見るとわざわざそこに住む理由が考えられないようなところに存在します。その疑問を解くために、国総研時代にその由来を調べさせたことがあります。戦後の食糧不足の時期に切り拓いた集落もあれば、各種鉱山の労働者のために作られた集落もありました。そうした出自を紐解いて、今後の再発展の可能性を調査した上で選択すべきだと考えます。それを考えるのは地方自治体の行政、首長、議員の仕事であり、中央がコンパクトシティなどの施策で一律的に強いるのは、現実として通用する話ではありません。
 さて、ここで問題なのが、道路橋が70万橋あるという「事実」です。私が現役の時はたしか50万橋と言われていました。いつのまにか20万橋増えているのは、農道や林道といったもともと道路構造令の規格で作られていない道路が、国交省所管の道路法上の道路(主として市町村道)に編入されたためです。これを道路は全部一緒だという論理で、同一の規格で管理しようとしている。
 もともと道路橋示方書の規格に基づかず安価に作られているこれらの橋梁を、維持管理の段階で示方書に基づいて管理しようとするから無理が生じています。いずれ法改正や政令の運用などを変えて柔軟に対応していか行かざるを得ない時が来ると思います。昨年の道路法改正の際に近接目視を全ての橋梁に適用するなど(道路管理者としての意識を持つべきであるという趣旨は正しいが)一律化を強調しすぎたために、その論理が架け替えにも及び苦しくなっているのかな、と感じます。こうした橋梁は主に農村など過疎地に架けられているケースが多いことも事実で、かつこうした橋梁の中には長大橋も少なからずあります。


農道橋の中でも長大橋はある(写真はイメージです)

 30年は使うんですよね? という3番目の原則は、架け替えはそれなりにお金がかかる仕事ですから、今後とも長く必要とされるもの以外はむしろお金をかけるべきではないとするものです。

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