道路構造物ジャーナルNET

-分かっていますか?何が問題なのか-㉑酉年の新年に期待すること

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎

公開日:2017.01.01

三木教授からの誘いでクラッド鋼へのチャレンジ

2.夢として消えたクラッド鋼を主要材料とした道路橋
 私が今でも残念な重大事と思い、忘れることのできない事件が一つある。ステンレスクラッド鋼を使った道路橋建設の話である。ここで、私が先の橋梁談合事件に続いてなぜこの話をするのか後で判るのでしばらくおつきあい願いたい。時は、平成初期、2005年からもう一回り前の1993年(平成5年)は、私が設計に関係したレインボーブリッジ(設計施工中の橋梁名:東京港連絡橋)が8月26日豪雨の中、新婚の浩宮様と雅子様を迎え、開通式典を行った年である。
 私は、平成元年からレインボーブリッジとゆりかもめの建設設計・積算に携わり、多くのゼネコンや橋梁メーカーと付き合うことになった。レインボーブリッジとゆりかもめの話は別の機会に譲るとして話をステンレスクラッドの話に戻すことにしよう。多くの橋梁メーカーに付き合うことは、国内の著名な先生方とも御付き合いする機会を持てることになる。当時、東京工業大学の教授であった三木教授(現在、東京都市大学学長)とも以前からの付き合いもあるが、種々な面でお話を聞く機会に恵まれた。その中で、問題のクラッド鋼、チタンではなくステンレスを使ったクラッド鋼の話である。
 三木教授から「髙木さん、東京都も種々な橋梁を建設しているけどクラッド鋼にチャレンジしてみない。」との技術者にとって嬉しい話であった。当時、私もクラッド鋼とはどのような鋼材なのか東京湾横断道路で使ったチタンクラッド鋼として少しの知識はあったが、それがどのような材料で、使用実績や設計・施工法を全く知らないずぶの素人状態であった。三木教授の話は、確か土木学会の委員会後唯一の楽しみな飲み会での話であったと記憶している。それからが大変である。私はどの橋がステンレスクラッド鋼を主材料として使えるかの検討を開始したのである。時は、平成の初期、まだまだ平成バブル景気が一部残っていた時、東京都としては昭和初期に建設した道路橋を数多く架け替えていた時代である。

U道路橋に白羽の矢を立てる
 接合部の処理 耐疲労性の向上

 私がステンレスクラッド鋼使用橋梁として白羽の矢を当てたのはU道路橋である。U道路橋は、東京都の下町に架かる道路橋で仙台堀川を跨ぐ、橋長が約20㍍程度の短スパンの橋である。松尾芭蕉も所縁の地域、飛来塩分は多くは無いがステンレスクラッド鋼を試すには絶好のロケーションであった。U道路橋架け替えの事業費は用意されている。まだ、架け替えの構造形式は決まっていない。東京都として技術力を示すには良い機会であるとともに、例え失敗したとしても影響は少ない。心の中では、ドクターXではないが、「私、失敗しないので!」と思っていたことは正直な話である。
 対象橋梁が決まったからには、どのように設計するかである。ステンレスクラッド鋼の性能を100%発揮するためには、接合部の処理が第一、次に、当然疲労のスペシャリスト三木教授が関与しているからには耐疲労性向上である。いずれの課題も、現在橋梁業界から撤退しているS社を中心に進められた。特に苦労したのは、ステンレスクラッド鋼を東京湾横断道路のように腐食を抑える化粧版のような使い方でなく、クラッド鋼自体を断面計算の中に組み込むことが可能か、写真-2に示すような1ボックス箱桁構造で製作・施工時にステンレス部分を全て外側処理するような接合ディテールが可能か、それも全溶接での製作・架設ということである。
 そのためには工場での溶接作業の試行、モデル橋を製作しそれを使った疲労載荷試験等々、このプロジェクトに関係したS社の技術陣は大変であったろうと思う。今でも当時の国内外初のステンレスクラッド鋼を実橋へ使うぞ!の思いは、関係する技術者一丸となって取り組んだからこそクラッド鋼採用一歩前まで来られたと自画自賛している。発注者側にいた私は、U橋の架け替え工程を引き、如何にして新材料採用を説明し、難関である先に説明した財務局を説得するかの段取りを進め、このまま進めば99%ステンレスクラッド鋼の道路橋が首都・東京の下町に架かると確信した。平成7年になって直ぐ、ここまで導いてくれた三木教授に「先生、何とかS橋発注が出来そうですよ」と説明した。先生も喜んだ、鋼材の腐食との戦いに良き事例として残るのである。

海外出張中の計画暗転
 会わす顔が無く、2年後に漸く説明

 しかし、私の詰めが甘かったのである。ここまで来たのであるから、事は順調に行くと信じ、海外に7か月ほど研修に出た時、急転直下、話が振り出しに戻った、嫌、復帰不可能なマイナスにまで落ち込んだのである。それは何故か?読者の方にはおそらく・・・と感づかれた方がいると思うが、当時の業界の悪癖であった「発注案件に順番を付ける、建設した会社が架け替えの権限を持つ。」が頭を持ち上げたのである。それも、私が担当部署に居ないのを見計らってである。
 海外研修先に深夜電話が入り、担当者であったI君から「髙木さん、怒らないで下さいね。絶対、電話切らないでくださいね。実は、今日、クラッド鋼・S橋の話、ダメになりました。▲▲社から横やりが入り、幹部も止む無く一般の溶接構造用鋼材に戻せとの指示です。何度も頑張ったのですが、やはり髙木さんがいないとダメでした。すみません私の力不足で・・・」正にどんでん返しである。それも、業界の悪癖、先に話した何とかルールが機能したのである。わざわざ連絡してきたI君に慰めとお礼を述べ、「落胆するな!悪いのは君ではない。日本のシステムだ。」と言い、帰国してからI君を囲んで残念会を開いたのは言うまでもない。
 その後、何事も無かったように、U橋は架け替え事業が進み、何の特徴もない鋼床版I桁橋、それもUリブを使った単純桁橋となった。残念である。国内外に誇ることが出来た貴重な機会を逃したのである。帰国して三木教授や頑張ったS社に会す顔が無く、それまでの経過を話せたのは、2年後であった。今でも私の辛い、思い出したくもない第一の出来事である。

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