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連載詳細

⑯斜張橋の発展とケーブル

現場力=技術力(技術者とは何だ?)

株式会社日本インシーク
技術本部 技師長
角 和夫 氏

(1)はじめに

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。2019年の年末、中国武漢から感染が始まったと噂される「新型コロナウイルス」であるが、今のところ一向に収束する気配がない。願わくは「東京オリンピック2020」迄には収束して欲しいものである。

 1年前、大阪日中友好協会訪中団の浙江省班長として中国上海、浙江省を経由して陝西省を訪問した。中国の斜張橋・吊橋という範疇ではなく海上橋建設技術の現状に驚いた(写真-1参照)。帰国後、まさか陝西省の隣の武漢市が新型コロナウイルスの感染源となるとは思いもしなかった。



 さて、旧公団・道路会社、県、関空会社等を経て㈱日本インシークに来て早1年半が経過した。この間、2地公体(県庁と町)で管理する 「小規模吊橋5橋」や「斜張橋1橋」の調査診断を行ってきた。担当技術職員との会話で感ずるのは、「5年毎の定期点検」だけが先行し、実際の診断・補修が追い付いていないことである。

 1998年から2年間、道路保全技術センターの保全課長に出向していた時のことを思い出した。橋梁課長(大手補修工事会社S社から出向)が汗水垂らして実施した四国管内の橋梁点検結果、その報告書は技術事務所の倉庫に眠っていた。やる気のある出張所の職員は報告書に目を通す。当時、私の大先輩が道計二課長をしており頻繁に議論をした。先輩曰く、「角さん、騒音の原因となるポットホール補修は環境対策で即実行します。しかし、橋は少し壊れても通れるので余程のことが無い限り補修は先送りです」と。これを機に大手ファブさんにお願いした。「自分で架けた橋は、自分で点検・診断をして下さい。補修を必要とする場合は、管理課長に対して説明をする機会を作ります」、と約束した。その後、平成26年の定期点検の義務化、点検~補修のPDCA化、により直轄橋梁に関しては改善された感はある。

 しかし、小規模の自治体については相変わらず予算、人員の制限から順調に進んでいるとは言い難い。昨年10月頃から小規模吊橋の診断やらPC橋の耐荷力調査等でちょくちょく奈良県の川上村を通過する。巨大な大滝ダム湖に架かる機能回復橋、「白屋橋」(図-1)が左目に入ってくる。直轄施工の長大PC斜張橋であり、完成後、地元の川上村に移管された名橋である。川上村にとっては将来の維持管理上の大きな「お荷物」である。この大きな「お荷物」を軽くしてあげようと考えている。国交省的に言えば「直轄代行」。それが、私がこの会社に来た理由である。今回は、ライフワークの吊橋から離れて斜張橋に関して紹介する。


(2)斜張橋との付き合い
 斜張橋との関りが出来たのは「瀬戸大橋、岩黒島橋」が最初である。当時、斜材に採用予定の被覆鋼線ケーブル(HiAmアンカーケーブル)(グラウトタイプ)へのグラウト注入実験(1982年頃)を担当したことに始まる。その後、来島第一大橋のPC斜張橋(案)の検討(1989年頃)(吊橋案に対する比較案)、多々羅大橋(1992年頃)の設計・施工、(仮称)兵庫県姫路港広畑大橋の技術検討(1997年度)、東神戸大橋耐震補強(2006年~)、BOUREGREG橋(PC斜張橋)(モロッコ王国)(写真-2参照)、RADES-LAGOULETTE橋(エクストラドーズド橋)(チュニジア国)(写真-3参照)、川崎臨港橋、カリマンタン斜張橋(インドネシア国)、その他国内・国外の技術支援等である。
 最近では関西道路研究会の「斜張橋ケーブルの耐久性評価と今後の維持管理に関する研究小委員会」で報告書にまとめたこと、さらには阪神高速G社員向けに行った「斜張橋技術研修」(2018年度)でほぼ集大成に近づいた感(自分だけの勝手な思いだが)がある。


 本文では、①斜張橋の発展、②ケーブルの種類、③ケーブルの防食、④ケーブル等の損傷、⑤ケーブル防食技術の発展、⑥記憶に残る関わった斜張橋、について紹介する。

(3)斜張橋の発展
①斜張橋の起源(土木学会資料引用)
 19世紀にイギリスで架設されたKing‘s Meadow橋(1817年、支間長33m)(図-2参照)が起源と言われている。その後、イギリスやドイツで斜張橋が架けられたが不遇にも落橋事故が相次いで起こったようである。この理由は、高次不静定構造の解析が十分に出来なかったこと、信頼性に足り得るケーブルが当時は製作出来なかったこと、が挙げられている。

②近代斜張橋
 1955年、スウェーデンのStröm海峡に架設されたStrömsund橋(最大支間長183m)(写真-4)が挙げられる。日本初の斜張橋は、勝瀬橋(1959年、支間長128m)(写真-5参照)である。初代勝瀬橋(吊橋)の主塔等はそのまま転用され斜張橋として架け替えられた。3代目は場所を移して2径間の斜張橋として供用されている。1950年台以降は、西ドイツの技術によりケーブル段数の少ない斜張橋が数多く建設された。



③斜張橋の発展期(土木学会資料引用)
 1960年以降の草分け的な斜張橋は、1面吊りでは初のNorderelbe橋(支間長172m、1963
年)(図-3参照)、マルチケーブルでは初のFriedrich-Ebert橋(支間長280m、1967年)(写真-6参照)がある。この時期以降、支間の長大化に伴いケーブル張力が大きくなり、その結果、定着構造の大型化や施工の困難さが際立つことになる。この問題を克服するために「マルチケーブル斜張橋」が開発された。



④長支間化への道
  1970年以降は斜張橋の長支間化が加速することになる。フランスのSt.Nazaire橋が初めて支間長400mを突破した。日本では、尾道大橋(1968年)(支間長215m)が初めて支間長200mを超えた。その後、大和川橋梁(1982年)(支間長355m)が300m、名港西大橋(1985 年)(405m)が400m、鶴見つばさ橋(1994年)(支間長510m)が500mの壁を越えた。そして、ノルマンディ橋(1995年)(支間長856m)(写真-7参照)が初めて800mの壁を越えた。さらに、20世紀最後、多々羅大橋(1999年)(支間長890m)(写真-8参照)がノルマンディ橋を凌ぎ世界最長支間を有する複合斜張橋となった。

⑤中央支間長が遂に1,000mを超える時代に突入
  2008年、支間長が一気に1,000mを超えた。蘇通長江公路大橋(スートンブリッジ)(1,088m)(写真-9参照)の完成によるものである。さらに、2012年、支間長1,104mを有するルースキー島連絡橋(写真-10参照)が開通した。多々羅大橋斜張橋案検討時、「解析上は1,500m程度まで設計可能」としていた。今や現実になろうとしている。