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第52回 危機管理においては「空振りは許されるが見逃しは許されない」

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
建設技術統括監
植野 芳彦 氏

1.はじめに 

 年度末で、コロナウイルス問題が起きて大変な時期だと思いますが、富山市建設技術統括監としては、今回で最後となる。今回は、最後に思っていることを書きます。


2.すべては人

 先日、県庁の幹部と市の幹部での会議が行われた。その時に言われたのが、某橋の大規模設計ミスの話。「植野さんが、いながら。どうして?」と言われたが、実は、この橋は私が赴任する前に終わっていた橋だ。これは設計ミスではない。重大な1工程を手抜きしていたのだ。論外の話なのである。ルールを守っていないだけなのだ。これによって、担当者と私の時間がだいぶ無駄になった。一昨年の12月ごろに発覚し、昨年の11月くらいまで処理がかかった。こういうのは税金の無駄にはならないのか? それに、わたくしにとっては非常に迷惑な話で、「植野がいながら・・・」ということになるのは当然であり、できるならば、「名誉棄損」「威力業務妨害」で訴えたいくらいである。まあ、そういう重大性もわからない方々だからそういうことを犯すのである。まぎれもない犯罪である。


 さらにこの連中が、「富山市役所には、おかしなうるさい奴がいて、自分たちの仕事が減っている」と県庁や他の市町村で、わざわざ言っている。本人には伝わらないと思っているらしいが、こういうことはすぐ伝わる。ご丁寧にわざわざ伝えてくれる方もいるし、相手の言うことを鵜呑みにして、いろいろ言ってくる奴もいる。「あまり波を立てるな」とか「かき回すな」と言う者もいるが、じゃあどうすればよいのか? 間違っていても「ハイハイ、イイんですよ! ありがとうございました。助かります。お金は払いますからね」とでも言えばよいのか? 「盗人猛々しい!」というのが私の意見だ。


 そういう人たちは何を望んでいるのだろうか? 私の心が折れるのを待っているのか? 残念ながら、これまでにもっとつらいことに、さんざん遭遇してきている。何より保身は望んでいないので、いざとなったら真実を述べて責任を取らせてやる。もしそれが、問題であり、ここのためにならないのならばいつ辞めても何でもない。ただし、売られた喧嘩は買う。ただ買うだけではなく、数倍にして返してやる。私の辞書には「保身」という言葉はない。「数倍返し」というのは太字で書いてある。そもそも、私は好戦的な性格で親からは、性格を改めるように、よく注意されてきた。そうでなければ、これまでのような人生は送ってきていない。「保身」を考えていると、やりたいこともできないし、言いたいことも言えない。つまらない状態に陥ってしまう。そういう人たちを見ていると、「ああ、かわいそうだなあ!」と情けなく思えてしまう。


設計ミスはなくならない。その対応が重要だ!

 何でそんなことが起きてしまうのか? まずはやはり、「技術」というものに対する甘さだろう。なんでも口でごまかせると思っている人間が多い。一つ言っておく、技術の世界では、「生兵法はケガの基」。できないことはできないというべきだ。ただ新規事業や挑戦心といった観点からは、どんどん挑戦してほしいが、「教えを乞う」という真摯な態度が必要である。

 全ては「人」なのである。技術者という個人がどういう認識で仕事をしているか? してきたか? で、その人の将来は大きく変わる。人間はいろいろいるから面白いのだが、「仕事」ということに対しては、「修行と経験」であろう。その中でも「技術」というものは、自分で身につけなければならないし、そのための努力は必要である。そして実際の十分な経験が重要である。


 例えば「設計」という問題であるが、市販のソフトにデータを入力して「設計をしている」というのは、全くおかしい。示方書を勝手な解釈でやっているのも同様。本来設計とは、目的物を合理的に作るために、荷重の検証や構造物のモデル化、解析を行ったうえで、外力から断面の決定や総合的な組み立てまでを検証するのが設計であり、決まりきったものをソフトで研鑽し図面を描くのは設計ではない。


3.官の問題

 地方の基礎自治体(市町村)は、住民と密着している。役所にはカウンターが設置されていて、窓口には様々な方が来る。国や県にはない住民との接触がある。これは見ていて大変である。良く対応しているなと感じる。仕事も中断されてしまいかねない。つまり、市民と近い立場にいるので常に気にしなければならない。


「危機管理」「リスクマネジメント」を考えるうえで、重要なのは、常に最悪の事態を想定し、それに備えることである。危機管理においては「空振りは許されるが見逃しは許されない」とよく言われている。最初は過剰反応くらいでちょうどよく、事象の見逃しは致命傷になる。まさに、今回のコロナウイルス対応がインフラ・マネジメントにおいても勉強になる。いまだ、収束はしていないので、コメントは控えるが、皆さん「予防保全、予防保全」とは言いますが、結局は事後保全をしている。初動が甘いので、結局事後対応になっていく。インフラの場合は、初期建設時からの持病が大きく響く場合も多い。感染症と同じように、まず全体を観察し判断していくことが重要である。1つ1つに右往左往していたのでは、多くを失うことになる。この優先付けがトリアージなのだが、トリアージという言葉のみに反応し、結局は1橋を議論している。情けない。しかも事後保全で。


 しかし、この事後保全でも地方自治体は仕方がない部分が大きい。市民の皆さんも興味は福祉や社会保障や教育、健康といった分野で、道路や橋はあって当たり前だからであるが、もうすぐ、それが当たり前ではない時代が来るのだが。おそらく、今のまま行けば、自治体によって差が出てくるだろう。まずは、管理インフラの総量が大きく影響する。かつては、多くのものを持っていたほうが豊かだったが、これからは、持たないものが豊かになる。


管理インフラの総量が大きく影響する


山の中の某橋

 すべてに言えることだが、「わかったふり」は辞めていただきたい。ここ富山だけの問題かもしれないが、何事もわかったふり。賢いのはわかる、尊敬もするから、「やってる感満載のわかったふり」は良くない。みなさん、まじめで賢いのだが、わかるはずもないしできるはずもないのに、勝手に判断するのは、大きなリスクを伴う。きちんとした専門家に相談したほうが良い。かっこ悪いかもしれないが、全てがわかっている人間はいない。そんなことは期待していない。


 ここ富山市には、私と同等の立場の人間が3名いる。「未来戦略企画監」「法務専門監」と私だが、法務専門監には、まだ質問が行っているようだが、私と未来戦略企画監にはそうでもない。3人で「3監塾」をやったりし、親交を図っているが、肝心の使い方が間違っている。もったいない。

 そもそも、私の使い方が間違ったのではないか? 市長の思いと建設部での扱いにおそらく開きがある。もっと、利用してくれればよかったのにと今は感じている。これが、役所の悪いところである。勝手な判断で、妙に周りだけは気にしてやってしまう。深くは言わないが、もっと使い道があっただろうにと感じている。もっと、悪者にして、自分たちのやりたいことをやってもらえればよかった。遠慮し過ぎで水臭い。



そもそもなんでこうなったのか?

これに対し何も感じませんか?


コンクリート橋の損傷状況

4.まとめ

 ここでの生活も6年になり、年齢的にも63歳である。もう疲れたというのが本音である。よく成果は? と聞かれるが、成果とは他人が判断するものである。我々の世界の成果は、すぐにはわからない。何年か何十年か後に出てくるものである。他人の意見を聞けるか聞けないか? ということも同じである。すべては判断と決断でそういう選択をするのは各人なので、判断について別に責める気もないし、「頑張ってほしい」と言うだけである。結局、自分自身では勉強させてもらったが、富山市としたら、使い方を間違っただろう。どうせ、悪口を言われているので、悪者にしてもらってよかった。そういう覚悟で来ていた。楽をさせてもらったのかもしれない。


 今回の議会でも「橋梁トリアージ」の話題が出た。言いたいことはわかっている。自分の近くの橋は守りたい。残したいから聞きたいのだ。本当に価値があり重要であれば黙っていても残る。私が言った言葉に対して、過剰反応しすぎだし、勝手な判断を入れて過剰反応している議員さんも職員も本質が見えていないようだ。そもそも個々に意見を聞いていたらトリアージは成り立たない。災害時にトリアージを行う場合は、身内や友人に対して行うのは非常に難しいと言われている。情が絡んでしまうからである。これと同様である。多数決でも決まらない。冷静に冷徹に判断しなければならない。そして、トリアージがすべてではない。東日本大震災から9年である。この時に、トリアージを実際に行った知人の医療関係者たちから、様子を聞いたが、「トリアージは壮絶だ」というのが印象である。


 トリアージとは、判断である。判断ができない人間がやってしまったらトリアージにならない。限られた時間でどうするかが大きな問題なのだ。1つ1つを気にしていたらできない。あきらめも必要なのだ。

 仮にトリアージでは撤去という判断がされても十分な財源を用意し、この橋は自分たちで治すというならばそれはそれで価値がある。PPP/PFIと同様に、地元有志の寄付によるインフラというのも十分あり得る。江戸時代には豪商が作った橋というものがあった。


 トリアージが本当にわかっているのか? トリアージ結果を公表しろということも言われるが、それをしたら、混乱が起きる。任された人間が行うのがトリアージである。最近、読んだ本で「朝三暮四」という言葉があり、なるほどなと思った。今良ければよいのである。子孫に、つけが回っていくのである。もっと大局を考えなければならない。「客観性」とは当事者でない第三者の意見なのである。私そのものが第三者であるし、「橋梁マネジメントカンファレンス」ということで、第三者の先生方の会も作って、ご意見をいただいている。身内は「主観的」な意見であり第三者にはなりえず、トリアージは聞くべきでない。この辺がわかっていない。実際の災害時にこの辺をはき違えると、収拾がつかなくなる。


措置としての通行止め

 そもそも、私がここにいること自体が気に食わなかった方々も、内外に多いことだろう。そんな方々にとっては、今後は良い時代になるだろう。しかし、市民にとって、どちらが良いのか? 先が読める人間は少ない。そして、世の中に先駆けて実行できる人間はもっと少ない。私はそういう人間になりたい。

(2020年3月16日掲載、次回は2020年4月16日に掲載予定です)