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連載詳細

①私の概歴

次世代の技術者へ

土木学会コンクリート委員会顧問
(JR東日本コンサルタンツ(株))
石橋 忠良 氏

 最初に執筆をお願いしたのは、8年ほど前だっただろうか。別の会社にいた時に首都高速道路の大規模更新について特集を組んだ。その時に、誰が責任を持って構造物を診るか、というお話を三木千壽先生や、前川宏一先生に聞いた。二人は例えとして国鉄の構造物設計事務所を持ち出された。とりわけ前川先生には、石橋氏が携わった阪神・淡路大震災の時のエピソードとその決断のバックボーンとしての構設の役割について短い時間ながら教えていただいた。石橋氏にはその前から何度か取材させていただいていたのだが、俄然、その人物に興味が増し、考えや経験を文字として残して欲しいとお願いしてきた。

 この度、承諾を戴いたのは編集者として望外の喜びです。連載には特に期限を設けていません。読者の皆様には、ご熟読いただけましたら幸いです。(井手迫瑞樹)


スラブ軌道の設計から橋梁構造物の設計へ

 東北新幹線の工事事務所在籍時に宮城県沖地震に遭遇

 1970年4月に、国鉄に入社して最初の勤務は大阪で、線路の保守を担当する部署でした。しばらくして、大型の保線機械で、線路を毎晩直すことの現場に行きました。ほとんど油圧の機械を扱っている現場でした。ここで油圧の構造など覚えました。また列車の走っていない夜間での線路の工事の責任者としても現場に何度か出ました。この時に、機械の故障や、器具の損傷などで初列車を1時間程度遅らせる事故の責任者を2度ほど経験しました。

 1972年の後半に国鉄構造物設計事務所に転勤し、軌道スラブの設計を担当することとなりました。バラスト軌道という枕木と砂利からなる軌道から、スラブ軌道というコンクリートの板の軌道に新設の軌道を変える時期でした。軌道のパートはあったのですが、そこには分岐器や締結装置などの専門家はいたのですが、スラブ軌道はコンクリートスラブであったので、コンクリートのパートに配属されました。スラブ軌道の設計を担当しながら、隣で設計していた山陽新幹線や、東北新幹線の構造物の設計も面白そうなので、それも担当させてくれと言って加えてもらいました。高架橋や、RC桁、PC桁、PC連続桁などの設計も経験しました。

 その後、1975年2月ごろに福島県と、宮城県の新幹線建設を担当する事務所に転勤しました。この事務所は新幹線建設のための臨時の事務所で、北海道から九州までの全国から約1,000人の技術者が集まっていました。私は4年間おりましたが、そのうち前半2年は、事務所で構造計画などを担当し、後半2年は、仙台市の南部と名取市のエリアを担当する現場に行きました。約11kmの現場で、工事は最盛期で各種の工法が一斉に使われていました。この現場にいた昭和53年(1978年)の6月に宮城県沖地震が起こりました。この時、私の担当現場でも、建設中の新幹線構造物に多くの被害を受けました。これを補修することも担当しました。この時の設計に用いていた地震荷重は水平震度0.25でしたが、測定された加速度は、仙台鉄道管理局で約500GAL、東北大学で約1,000GALの値が記録され、設計震度0.25に対応する250GALより大きな加速度を受けることがあるということを知りました。

 

宮城県沖地震での建物の被害例

 1979年に構造物設計事務所(構設)に戻り、主な業務の一つが耐震基準を含め鉄道の設計基準の見直しを担当することでした。この組織では、全国から設計の相談、施工の相談、メンテナンスの相談、災害時の復旧方針などの相談を受けていました。構造技術の全分野(土木のほか、建築や軌道も含む)が集まっており、上司である所次長には、その後大学教授になった先輩が多く並んでいました。鋼橋は全国の設計と品質管理をすべてこの組織で集中してやっていました。

 私の所属したコンクリート構造は、構造物の数が多いので,設計は、標準設計と特殊橋梁などをこの組織で担当していました。鉄道構造物に関する、建設からメンテナンスまでの技術基準の原案もここでつくっていました。学会の示方書の作成の条文などの案作りも、この組織のメンバーが委員や幹事として作業をしていました。


 鉄道技術研究所との役割の大まかな区分は、設計理論のあるものは構設、研究途中のものや理論がないものは研究所の担当でした。実際の構造物は基本的に構設が、設計、施工、メンテナンスに関わり、研究所が直接現場とかかわるものは、落石、水害、降雨災害などの予知や危険判断などです。トンネルの分野では、都市内のトンネルは土圧で設計するので構設が中心に、山岳トンネルは現場技術者の判断が優先していましたが、研究所が主に担当していました。


 1987年に国鉄が分割され、私はJR東日本に行くこととなりました。最初は東北6県の工事を担当する事務所でした。ここでの印象に残っている工事は、青森ベイブリッジという中央径間240mの3径間のPC斜張橋(4車線)です。同橋は道路橋ですが、国鉄時代から計画および設計に関わっており、ちょうど施工の時期でした。港湾道路のため、運輸省の管轄の道路で、青森駅の上を通ることからも、設計、施工を同じ運輸省の管轄であることもあり、国鉄、JRが担当したものです。  


青森ベイブリッジの夜のライトアップ