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-分かっていますか?何が問題なのか- ㊹高齢橋梁の性能と健全度推移について(その1)‐将来に残すべき著名橋になすべきことは‐

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員

髙木 千太郎

公開日:2018.12.01

3.重要文化財・永代橋の長寿命化は可能か?

 ここで永代橋の調査結果を説明する理由は、国の重要文化財とするべく多大な労力を費やしてきたそれまでの私の強い思い、次世代への継承、そして世界遺産(重要文化財永代橋、清洲橋、勝鬨橋を指す)への道を切り開くには、どうしても長寿命化が可能なことを証明し、200年以上の余寿命が欲しかったからである。それでは、当時に戻って、まずは重要文化財・永代橋の諸元を整理しよう。
 永代橋建設当初の資料を見ると、橋長は184.7m、幅員22.0m(車道16.6m、歩道2×2.7m)、橋面積4,063㎡、3径間(41.148m+100.584m+41.148m、うち吊径間26.670m)、縦断勾配が中央径間1/60の放物線勾配、側径間1/30直線勾配、構造形式が吊鈑桁付突桁式鋼鈑繋拱橋(バランストタイドアーチ)である(図-5 一般図参照)。


図-5 重要文化財・永代橋の一般図

 私が予防保全型管理・中長期計画のアピールポイントとして進めた長寿命化工事を行っている永代橋の雄姿を写真-3(長寿命化工事着手前)に示した。


写真-3 隅田川に架かる国の重要文化財・永代橋

 建設工事は、大正13年12月に起工し、同15年12月に完成するまでの満2カ年の歳月と260余万円(現在価値では100倍?であろう)を費やしている。構造形式の決定にあたっては、当時震災復興事業の橋梁設計・施工を主導していた復興局・田中豊の考えが鍵を握っている。
 田中豊は、橋を通る人々の感じ方(歩行者空間)を優先し、構造部材が路面上にない、上路形式にすることが望ましいと考えていたようだ。しかし、建設地点の地盤が軟弱であること、取り付け道路の部分が全体に低いこと、橋下が航路となっていること、周辺の風光が雄大であることなどの条件から、上路形式を諦め3径間下路式に限定された。下路式となると、吊構造形式は清洲橋に採用するので残りはトラス形式あるいは、繋拱形式(アーチ形式)のどちらかである。
 田中豊の考えは、トラス形式は不規則に斜材が交差し、不愉快な感を通行人に与えるのに対し、繋拱形式の場合は吊材のみで、その太さも比較的小さくかつ規則的であることから不快とは感じないとの評価である。部材が輻輳することを嫌った考えは、隅田川の復興橋梁の多くに適用されたが、永代橋も最終的に充腹断面の主構を主とする繋拱形式案が採用された。この考えは、田中豊の教え子、勝鬨橋の設計者である安宅氏にも引き継がれている。このようなことから、私は永代橋と勝鬨橋(側径間)が似通った雰囲気を感じる。

1)永代橋の下部工沈下と水準測量
 当時の最先端の材料と工法を適用した永代橋も、供用開始後40年を超えると大きな変状が発生した。それは、橋を支える支持地盤の圧密沈下か潜函基礎の支持力不足によって下部工が許容以上に沈下したことである。変状を解消する目的で行われた永代橋の大規模修繕工事は、1966年(昭和41年)7月から始まった。修繕工事の内容は、沓座の扛上工事であり、両岸橋台の沈下および変形現象を解消する目的である。
 私は、修繕工事を行うことを最終判断した過程や田中豊氏とのやりとりを、今は亡き鈴木敏男先生(東京都の技監、退職後に日本大学理工学部教授、田中豊東京大学教授とも懇意にしていた)に聞かずに終わったことを悔やんでいる。
 当時の調査技術では、支持地盤や基礎の躯体を正確に調査することは困難であったと考えるし、例えそれが可能であったとしても、確実な補強工法がなかったのであろう。結果的には、現状においても、右岸側橋脚の下流側が約100㎜沈下、傾斜しているとの資料もあるし、生前鈴木先生は私に何度もそのことを話され、如何に対策すべきかを説明頂いた。
 調査時点の全支間長は、上流側182.880m、下流側182.905mと設計値182.880mと比較すると下流側が0.025m長くなっている。側径間及び中央径間の支間測量結果を表-2に示した。


表-2 支間測量結果:永代橋

 橋台および橋脚の沓座高さは、右岸側と左岸側の高低差が上流側橋台沓座+12㎜、橋台+198㎜、橋脚沓座-19㎜、橋脚-9㎜、下流側橋台沓座-5㎜、橋台181㎜、橋脚沓座-115㎜、橋台-125㎜となっている。この調査結果からも、前述した右岸側の橋脚が100㎜沈下している事実が資料によって裏付けられた。なお、橋台、橋脚および沓座の水準測量結果を表-3に示す。


表-3 橋台、橋脚および沓座の水準測量結果:永代橋

 次は、私が資料の中で私の決断に寄与した永代橋載荷試験とたわみ量について説明しよう。

2)永代橋載荷試験とたわみ量
 実橋載荷試験は、静的載荷試験と動的載荷試験とを分けて行い、8トントラックに砂利を満載、総重量16トンの荷重車を10台使って行っている。載荷試験は、各部材に所要の応力度が発生するように各種の状態を再現する考えで載荷し、その結果、歪とたわみ計測、振動計測等である。なお、測定点は、1/4L、1/2L、3/4L点とし、橋軸直角方向に中心線を対称に載荷し、さらに両側について偏心載荷を行い、床組に対しては部分的載荷も行っている。今回は紙面の都合上申し訳ないが、たわみ計測結果の一部のみ紹介する。
 図-6は、支間中央の2/L点に載荷した場合の計測結果をプロットしたものである。下流側の支間中央たわみ量は計算値12.8㎜に対し、計測結果は7.3㎜と5.5mm少ない結果となった。また側径間は、計算値-1.9mmに対し0.0mmとなった。計測結果図で明らかなように、2回行った実載荷のほうが計算値より下回る結果となっている。


図-6 永代橋たわみ量計測結果:中央載荷

 次に、中央径間中心部より、22.86m離れた位置/4L点を中心に対称載荷した場合のたわみ量を図-7に示す。この結果も、中央点載荷と同様で、載荷位置中心線部分が最も大きくたわみ、計算値13.5㎜に対し第一回載荷時が8.0mm、第2回載荷時が9.3㎜と5.5~4.2mm少ないたわみ量となった。また、載荷点側の側径間・ゲルバー部分の上方向たわみ量は、計算値9.1㎜に対し、載荷時5.5㎜と、当該箇所も3.6mm少ない値となった。


図-7 永代橋たわみ量計測結果:中央1/4L載荷

 同様に、側径間ゲルバー部分を中心に載荷した結果を図-8に示す。これも前述の載荷パターンと同様で、載荷点中心のゲルバー部の計算値が14.2mm、第一回目の載荷時が10.0mm、第二回目の載荷時が9.2mmと4.2~5mm少ない値となった。また、中央支間1/4L点のたわみ量は、計算値上方向に7.8mmに対し5.6㎜とこの箇所も2.2mm少ない値となった。

図-8 永代橋たわみ量計測結果:側径間ゲルバー部載荷

 以上、静的載荷試験による実測たわみ量と計算結果を対比した内容を概略説明した。3パターンの載荷実験とその結果を3つの図で示したが、いずれを見ても明らかなように計算値と比較して実測値が下回り、主構造と横構、床組などの分配効果やバックルプレートの床版がこれに寄与したものと考えた。以上、重要文化財・永代橋の長寿命化が本当に実行可能かを考えた当時の触り部分を、測量および静的載荷試験結果を示して説明した。次回は、静的載荷試験結果から得られた主構造等の歪、動的載荷試験から得られた振動モードおよび現行荷重(B活荷重)載荷時の耐荷力について説明しようと考えている。

4.なぜ橋梁技術者は震災復興橋梁が好きなのか

 硬い分析資料の説明はこのくらいにして、関東大震災の震災復興橋梁について私見を述べよう。私が震災復興橋梁に嵌ったのは、東京都に在職していたからではないと思いたい。確かに東京都に勤務していなければ、橋の博物館・隅田川に架かる震災復興橋梁に触れる機会はなかったかもしれない。
 私は、例え不幸にして東京都に関係したり、隅田川の橋梁に関連したりする業務に関わっていなかったとしても、復興事業の橋梁への思いは同じであるはずだと考える。その理由は、図書館や資料館で復興局の資料に接すれば、技術基準や設計手法の素晴らしさに感動するのは確かであるし、そもそも私は赤い糸で結ばれているから(私が勝手に思い込んでいる)感激しない理由は思いつかない。図-9に永代橋の設計計算書の表紙コピーを掲載した。発行時期が暮れも押し迫る大正15年12月となっているが、このような繁忙期に発刊しますかね。示されている内容はもっと凄い!
 図-10に永代橋設計書の第五章中央径間アーチ部応力計算書の触り部分を抜粋した。しかし、専門技術者として何と味のある設計手法と昔学んだポンチ絵(ポンチ絵でなく、手書きの説明図である。と怒られそうだが)と思いませんか? 私は単なる行政技術者の端くれであるが、ここに示した復興局の設計図書やそれ以前の設計図を見ると、技術者とはどうあるべきかを諭されているような気がしてならない。

 


図-9 永代橋設計計算書:復興局土木部橋梁課/図-10 永代橋設計計算書(第五章中央径間)

 以前、東京大学名誉教授の伊藤學先生に田中豊先生の講義録をコピーしていただいた。それには、田中先生の熱き土木工学、橋梁工学への思いが詰まっていた。私は時々、伊藤學先生から頂いた田中豊先生の講義録Tanaka kyozyu『KYO-RYO』を引っぱり出しては、草臥れた自らの尻を叩いている。連載を読まれている方々も、機会あれば、否、是非機会をつくって復興局の資料を見て、触って、偉大な技術者の熱き想い、先端技術への取り組む姿勢を読み取ってほしい。海外に学び、学んだ技術を国内で活かすために、日々戦っていた技術者魂が貴方にも分かるはずだ。これ以上書くと、私の身勝手な考え方を押し付けることになるので終わりとしよう。
 今回私が文頭で述べた前回の反省、長々と続く文章は価値がない、飽きられるとの思いから今回はここで終わりにする。次回、新年の話は、良いことが続くと思った戌年の反省(そうではなく、喜びと継続希望か?)となるか、来る亥(いのしし)歳の新たな願いを述べるかのいずれかであろう。それでは今回の話の締めくくりとして、平成最後の年、そして新たな干支を迎え、心新たに専門技術者のあるべき姿、存在感を来年の年明けには滔々と述べようではないか! と声掛けをして締め、新年の私の呟き、乞うご期待。
 話題満載(嘘でしょう!!)の次回を楽しみに、読書の方々が心豊かな年末を迎え、そして希望に満ち溢れ、願ったことが実現する新年を皆で迎えようではないか。See You Again !
(2018年12月1日掲載、次回は2019年正月に掲載予定です)

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