HOME連載一覧民間と行政、双方の間から見えるもの

連載詳細

㉛己を知り、自ら学ぶ

民間と行政、双方の間から見えるもの

富山市
建設技術統括監
植野 芳彦 氏
1.はじめに 
 だいぶ暑くなってまいりました。体もしんどい時期です。特に現場に出られる皆様は、注意してください。こちらでは、熊はもちろん、マムシやスズメバチにも気をつけなければなりません。以前、現場に行き、のり面から河川敷に降りようとして草むらに足を下ろそうとしたら、マムシさんがとぐろを巻いて、こちらを見て「なにか?」というような顔をしていた。
 前回の報告に関し、「技術論」に対して意見が来た。ありがとうございます。それを望んでおりました。正直、それでどうなる物ではないのですが、他の皆さんがどう考えておられるのか貴重です。ものの感じ方がよく分かります。また、「待遇面」では、すこし泣き言みたいになってしまったか、と反省したが、これからの方々が少しでも楽になればという意味合いと、わが国においても、「技術」というものを高く買う時代になってもよいのではないかと考えるしだいである。さらに、過去の失敗や、負の遺産を含め、真実を語り、無駄を排除していかなければならない。

2.技術力に関して
 前回、技術力に関して、わざと、少し意地悪に書いてみた。私の手法として、わざと反感を買うように言ったり、書いたりしている。それに反応する相手を見て、相手を判断している。
「技術」とは、厳しい世界である。ここ数年、地方で見ていると、負の遺産が多いことに驚く。計画・設計の不備と施工の不備である。最初から良くない物を作っている。これはなぜなのか考えると、どうしても、「分かったふり」でやっていたのではないか? という結論に達する。維持管理の時代になり、不良アセットが今後の大きな足かせになる。耐震補強とか言っているが、そもそも不安定な下部工に耐震補強をしてどうするのか? 一つひとつ、厳密に検証は出来ていないが、かなり不安定なものはある。これが地方自治体の技術力なのである。そして、それを誰も疑問に思わない。
 言うなと言う奴がいる。なぜか? 「我々の先輩がやった物に、けちをつけるな」である。誰がやろうと、不都合な物は不都合なのである。私も、ミスや失敗は数限りなくやってきた、それが実績でもある。しかし、それは早いうちに対処しているし、見つけた段階で相談している。
 わが国では、国や県は市を指導する立場にあり、万能なことになっている(ちょっと大げさだが)。さらに、NEXCOさんなど、旧公団系にも技術レベルの高い方々は沢山いる。技術者も十分に存在し技術指導のようなものも十分に行えるかもしれない。しかし、市レベルでは工事規模も工事数も圧倒的に少なく、実際に経験しながら勉強できるチャンスは少ない。よく言われるのが「橋梁は一生に一度出来るか?」という状況である。そんな中で、橋梁技術に関して、技術力を高めようというのも難しいのが現状である。市も政令指定市はまだ良いとして、中核市で、果たしてどうか? である。実は、私が富山市にいるのも、「はたして、中核市レベルで何処までできるか?」という取り組みでもある。そういう役割も担っているのだが、これまで私も、改めて語ってはいないのだが、そろそろ明かす。
 私が見る限り、職員は基本的に、まじめであり優秀である。言われたことは、きちんとできる。しかし、自ら考えて動くというのが苦手である。新しいことも苦手である。これは、役所という組織の中で、そうすることが一番効率的だった時代の名残りである。
 孫子の兵法に「敵を知り己を知れば百戦、危うからず」というのがある。まず自分を知る必要がある。そして敵を知り、世の中の実態を知らねば成らない。実際に自分のことを知るのは敵を知ることよりも難しい物だと思う。「技術」という事に関しても考え方は、それぞれの立場で違うはずであるし、少なくとも「技術者」「エンジニア」と自負する方々は、キチントやられているはずである。
 私が駆け出しだったころは、発注者に厳しい方がいて、だいぶ鍛えられた。今は、そういう方がほとんどいない。かなり、理不尽なことも言われたが、必死で食らいついていった。一番良いのはOJTであるとよく言われるが、これも実際にはかなり難しい。
 土木の世界は経験が重要だ。しかも、現場での経験がどれだけあるかどうか? これが重要なのだが忘れ去られようとしている。徒弟制度に近い中で鍛えられているわけであるが、今の社会には合わないであろう。技術の世界というのは厳しい世界であるはずだが、それが何処でも薄くなってしまった。