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-分かっていますか?何が問題なのか- ㉜機械遺産と技術者育成(その1)

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏

土木と橋展に行ってきた

 勝鬨橋の跳開設備が機械遺産認定

はじめに

 今年で7回目となる「東京 土木と橋展」(写真-1参照)に行ってきた。これまでに2度ほどこのイベントに行ってはいるが、今年は8月に勝鬨橋の跳開設備が「機械遺産・Mechanical Engineering Heritage」として認定されたと聞き、是非行って見ようとの思いが後押しし、2度も会場に足を運ぶこととなった。

 なんせ、私の知識不足で申し訳ないが、これまでに全く聞いたことのない「機械遺産」認定である。機械と言えば物を造る、メカニカルなイメージが強く、遺産となれば、産業革命などの時代を築いた蒸気機関車、自動車、紡織機械などの機械やそれらを造り出すシステムに対する評価・認定となると思っていた。言われてみれば、確かに図-1に示すように勝鬨橋の跳開設備は、動力系の125HP(定格電圧440V で回転数500rpm)の直流モーター1基(予備のために片側2基配置)で総重量約1,950tonf(19,110kN) の片側跳開部をクラッチを介して歯車機構(ラック・ピニオンを含め)合計5 段によって終減速比が0.000428となるように工夫されている。



図-1 双葉跳開橋・勝鬨橋の跳開システム図


 また、稼働し始めた跳開部の制動機構は、電気式、機械式そして手動式の3段構えなど昭和中期に良くここまで考えたと思わせるメカニックなのだ。それはそれとして、勝鬨橋が土木だけでなく、先に示す凝りに凝った跳開設備が将来に残すべき機械としても認められたことは、関係者としてこの上なく喜ばしい。

 今年のイベント会場は、これまでと同様で昔公共駐車場として使っていた新宿駅西口地下にあるイベントコーナーでの開催である。会場には、種々な橋梁や設計者の紹介パネルとともに日頃見ることが出来ない模型、例えば、写真-2に示すような「新宿駅西口広場及び都庁周辺地下通路の立体模型」などが一同に会し、私のような橋オタクでなくとも十分に楽しめるイベントになっていた。



写真-2 新宿駅西口広場及び都庁周辺地下通路の立体模型


 2度も会場に行った私としては、何時も現役に対して手厳しい評価をしているが、これまでと違って今回は、なかなか頑張っているじゃないかと高く評価する思いと、見に来ている人々の目の輝きを見てOBとして感慨ひとしおの楽しいひと時であった。

 ここで私が認定を大変喜ばしいと思っている「機械遺産」の説明をしよう。「機械遺産」とは先も話したが、私にとって全く馴染みのない名称である。この認定制度は、国内の機械歴史に残る機械技術関連遺産を大切に保存し、文化的遺産として次世代に伝えることを目的に、一般社団法人日本機械学会が2007年から始めたのだそうだ。

 私が関わってきた道路橋、勝鬨橋と同様な可動橋を対象とした「機械遺産」としては、有名な「旧筑後川橋梁」が2007年、「青函連絡船及び可動橋」が2011年、鉄道橋「末広橋梁」が2015年と既に3橋が認定され、勝鬨橋は4橋目となる。前年までに「機械遺産」として認定された栄えある3橋の中で、「青函連絡船及び可動橋」以外の2橋は何らかの形で可動橋部分が稼働しているようだ。

 私としては、勝鬨橋が機械部門の遺産として認定されることに一抹の不安を感じている。その理由として、現役の道路橋、国の重要文化財でもある勝鬨橋の心臓部ともいえる跳開装置が、外部評価で公的に遺産として認定されることは喜ばしいが、跳開装置のメンテナンスが問われる場面がいずれ来るのでは、と不安がよぎったからなのだが。私の知る限りでは、私が詳細に跳開設備機械類を2002年(平成17年)2月から3月にかけて調査して以降、今回「機械遺産」対象となった装置類には何ら手を入れていないと聞いている。調査時には、グリースでしっかり覆われていた無傷のトラニオンシャフト、跳開動力機構の歯車類、制動機構や鎖状機構などが、目に触れない部分で東京湾から大量に飛来する塩分で腐食し、写真-3のように固結しているのではと。私の心配に対し、既にこれら全てをお見通しで、「既に対策済みですよ、心配しないで髙木さん!」の声を現役職員から聞きたいものだが。



写真-3 錆びだらけのラック及びピニオン(シカゴ市の事例)


眠っていた貴重な資料

 イベント会場の話に戻そう。今回展示されている模型の中には私の思いの詰まっている写真-4に示す勝鬨橋の動く模型があった。イベントに来られた多くの人が関心を持った勝鬨橋の動く模型は、1996年(平成8年)3月から東京の臨海副都心(現在、江東区と大田区で争いごとになっている埋立地)で開催される予定であった『世界都市博覧会』で展示しようと当時かなりの高額で模型会社に委託し、作られた。



写真-4 展示されている「勝鬨橋の動く模型」


 しかし、鈴木都知事の肝いりで開催を決定した『世界都市博覧会』は、バブル崩壊や埋め立て地の販売方法等を理由に青島都知事が打ち出した政権公約で止むなく中止となった。その結果、目的を失った勝鬨橋の動く模型も行き場がなくなりお荷物化、最後は置き場所に困り果てた結果、中央区の展示場に引き取られこのまま廃棄物への道と思われていた。廃棄物となる一歩手前までいった模型を再度現役として動かそうと考えたところから、今回の話題提供さわり部分の話が始まる。

 私が橋梁のメンテナンスに戻ったのは平成10年代の初期、阪神淡路大震災の被災経験から安全確保の目的で全国展開した道路橋耐震補強事業が軌道にのった頃である。私が都内の12建設事務所(現在は、11建設事務所)に当該年度の予算説明で回っている時、大量の設計図書、それも大正末から昭和初期にかけての貴重な資料?が眠っている話を事務所の担当者から聞いた。そもそも設計や施工資料の保管状態がお世辞にも素晴らしいとは言えない道路管理者、当時の東京都も同様であった。昔の資料に関する話を聞いた私は当然そのことに関心を示し、お決まりのように保管してあると説明を受けた資料を確認に現地に行った。

 なんと保管されている場所は、跳開を休止している勝鬨橋の橋詰めにある勝鬨変電所である。以前から、勝鬨橋の跳開時に動力として使うために、商用電源の3 相交流3,300Vを440V直流に変換する大型モーター等が置かれたままになっているとは聞いていたが、まさか保管場所がそことは。見て驚いた、無いと思っていた貴重な設計図面が茶色の筒に大量に入っているではないか。勝鬨橋の変電施設に眠っていたのは永代橋、清洲橋、蔵前橋などの隅田川の橋梁と震災復興事業等で建設された東京都の管理橋以外も含む道路橋の設計図書である。ごみと判断され廃棄されずに良く生き残った。私は目の前の将来に役立つ貴重な資料をこのまま朽ち果てさせることは出来ないと思いつつ、写真-5に示す2階のフロアーから1階を見渡した。私は、埃を被ってはいるが置かれている巨大な交流・直流変換モーター(定格400 馬力・1,000rpm)類と黒光りする操作盤に目を奪われた。と同時に私は、建設当時東洋一と言われた跳開橋・勝鬨橋の巨大な動力配給装置の素晴らしさを肌で感じた。そしてその場で私はとんでもないことを考え付くことになった。



写真-5 改修前の勝鬨変電室内の状況


 古き良き時代を体感できる眠れる設備機械群として、隅田川水面下に位置する跳開鋼桁を支える橋台内(一般的には橋脚としているが、私はピアーアバットの感が強く敢えて橋台と呼んでいる)の巨大な機械室(写真-6に示す中央部に位置する開閉動力の直流モーター125HP、3タイプの制動装置類及び970tonf(9,500kN)のカウンターウェイトなどのある機械室)、跳開をコントロールしていた塔上に位置する操作室(写真-7及び写真-8参照)、そして今見ている変電所(写真-3参照)を多くの都民に見てもらおうと、博物館構想を思い立った。



写真-6 中央径間橋台(橋脚)の機械室状況


(左)写真-7 跳開操作室のある中央径間跳開部を支える橋台

(右)写真-8 勝鬨橋跳開操作盤


勝どき 橋の資料館設置へ

 ここで断っておくが、橋の博物館を東京にとの考えは私が初ではなく、場所は異なってはいるが、まだ私が先輩諸氏から学んでいる時にKさんから聞いた話をその場で思い出し、提案したのだが。改修前の勝鬨橋変電所は、都電を運転する運転手が休みをとる小部屋(四畳半程度の部屋、壁には運転手が交代する際の札がぶら下がっていた。写真-5の交流・直流変換モーターの奥にある小部屋)等が残っているだけではなく、確かに汚れてはいたが見たことも無い機械や操作盤が配置され、今にでもモーターがうなりをあげて回転し始めるような異様な空間でもあった。変電所内の2階にある真っ黒な操作盤の前で私は、設計図書(書類と図面筒等)が無造作に積み重ねられていた空間の中で思い悩み、如何にすれば博物館構想を実現するか考えていた時間が昨日のように思いだされる。埃を被った状態の図面の中には、今使っている管理橋だけではなく、今回のイベントでも展示・解説していた昭和初期の著名な技術集団が苦労して設計・建設した貴重な橋(既に撤去され現存していない)の図面もあり、私を含む橋のマニアにとって希少価値と認めるお宝物でもあった。目の前にある黄色く変色した資料を、如何にすれば後世に残すことができ、数多くの人々の目に触れさせる新たな構想、それが橋の博物館であった。

 ことはとんとん拍子に進むことはなく、提案した博物館構想も何時ものように抵抗勢力との戦いが始まった。当然の理屈ではあるが、税金を投入してまで橋に関係する博物館を東京都が造る必要性がどこにあるのかとの問いかけである。既に本四架橋時に作られた展示施設や、それと同様に国内には幾つかの橋に関連する施設はあったが、いずれも入場者数や関心度が低く、橋の博物館も費用対効果が低いとの判断である。私も逆の立場であるなら、担当者の思いつきと結論づけるような見通しの甘い構想であった。しかし、勝鬨橋に関することは私もあきらめない。予算サイドとの平行線状態の議論となった場合の何時もの私の最終切り札、困った時の『天の声』の活用を裏取引、これがここでも功を奏す。2002年に幹部に博物館設立構想を最終説明、橋を身近にとの私の強い思いは幹部をも動かし、とうとう都庁内では大きな力を持っていた浜渦副知事へのブリーフィングと現地案内の実現でようやく夢であった博物館構想が動き出した。

 結論としては、まずは負荷の大きい博物館ではなく資料館とし、当時でも破格の2億円を投じて勝鬨橋変電所を改修することが最終決定された。資料館として改修は決まったが、どのようにすれば継続的に人が集まるかを課題として処理すべきとの指示を受けた。当然、橋マニアにとっては魅力的な先の資料や跳開設備群はある。勝鬨橋であるから、跳開時の映像や建設時の話、震災復興事業の話、機械室や操作室の公開と話は進む。しかし、何か足りない。その時閃いたのが中央区に貸し出している勝鬨橋の動く模型であった。しかし、火事場のくそ力ではあるまいし、よくもまあ私も苦し紛れに思いついた、動く模型が存在することを。直ぐに、貸出資料から中央区の担当者に電話、今どこに模型があって、どのような状態なのかを聞きだした。今だから話すが、私も動く模型を作った話は聞いていたが実物を見てはいない。翌日、ようやく動く模型に対面することとなったが、その大きさにびっくり。勝鬨橋の路面を往復する昔の都電と跳開時に最新鋭のリゾート船が中央部を反転しながら行き来するアンバランスな時代感には呆れたが、展示物として最適と結論づけられた。

 しかし、期待した動く模型ではあるが長年動かしていないからか、肝心の都電と中部を上下に航行する通過船舶が思うように動かない、困った。藁をも掴む気持ちで模型の背面を見ると、あった模型の製作会社名が。直ぐに表示されている模型製作会社に連絡。何度かやり取りした後修理を依頼、「かちどき 橋の資料館」のオープンにこぎつけた時には胸をなでおろした。

 そんな懐かしい思いの詰まる模型が、多くの人に見られ、感動している状況を見た私は、良かったあの時に苦労して資料館に戻したかいがあったと。やはり、動かないパネルや写真よりも動く模型に人気が集まるのは当然の理屈である。特に、事務サイドが高い評価をする子供たちに、人気を博すのは動きのあるビジュアルな展示物なのだ。

 しかし不思議なもので、私と何か縁があるのか日本機械学会が設定した「機械の日」は、私が誕生した8月7日であるとは。今考えてみると、勝鬨橋変電所を改修し、橋の博物館を作る構想に執着した私は、実は「機械の日」と太い糸で結ばれていて、後の「機械遺産」とするために勝鬨橋架け替え案への抵抗や土木学会に委託し跳開設備の調査・検討等を行うように操られていたのかもしれない。日本機械学会のホームページを見ると、七夕の中暦にあたる8月7日を「機械の日」にした経緯が記述されている。そこには、「機械技術がどのようにして社会や産業の健全な発展に役立てるかを広く社会と共に思考すると共に、機械技術者の果たす役割を浮き彫りにして社会の一層の理解を得るために、関係諸団体のご賛同とご協力を得て、国民的な記念日を設置することにいたしました。その機会に、若年層の理工系離れ、技術離れを回避し、女性を含めた次世代の技術者の育成を支援し、さらに国際的な技術学術交流の促進も図りたいと考えています。」と機械系技術者の課題が示されている。土木と同様に機械も技術者育成が大きなテーマのようだ。


必要なのはメンテナンススキルに精通した技術者

 それではここで、今回の話題提供する本題に移し、私が自分自身に与えられた大きなテーマと感じている技術者育成について、持論を柱として話すこととしよう。

 なお本テーマは、私が昨年から本年にかけて月刊誌「ふぇらむ」(一般社団法人日本鉄鋼協会)に連載執筆した内容から、技術者育成に関する一部をリファインしたものである。この趣旨は、先の月刊誌が鉄鋼専門分野の読者が多いことから一般の方々に目に触れることが少ないこと、技術者育成は数多くの技術者や人事管理されている方々に知ってもらうことが必要と判断したことを理解されたい。また、読んでいただければお分かりと思うが、内容が複雑であることから今回と次回の2回に分けて話題を提供することをご容赦願いたい。それでは我々技術者の生涯テーマともいえる技術者育成について、技術者評価、職責評価及び技術研修に役立てる目的で取り纏めた『スキルスタンダード』を引用しての話を進めるとしよう。

 今までの連載で何度も述べているが、社会基盤施設の置かれている環境が建設中心の時代から維持管理を行わざるを得ない時代へと急速に変化している。その理由は、高度経済成長期に大量に建設された多くの社会基盤施設の高齢化が進行していることや、今月が節目の5年を迎える中央自動車道・笹子トンネル天井板落下事故で明らかとなったような潜在的なリスクが高まっていることがあげられる。また、少子高齢化による生産人口の減少によって税収が減少し、行政コスト縮減を行うことが必要不可欠な時代となってきているからである。

 このような状況において、社会基盤施設の管理、運営に携わる専門の人材を量的に確保する必要性があるにもかかわらず、団塊世代の大量退職によって、技術者の量および質の低下が顕著となり、必要な技術レベル(スキルレベル)を維持することが困難になりつつある。特に技術者の質が低下したのは、豊かな想像力追及などを背景とした従来型のアナログ的な処理から、急速に発展しているICTによるデジタル的な処理(例えば、AIに全てを任せようとする技術者の甘えなど)を主とする考え方が重要視され始めたことも一因である。

 社会基盤施設は、点検・診断や修繕、更新などの維持管理、保全行為を継続して行い、施設の性能や本来保有している社会的便益を満たすよう維持していくことが重要とされている一方、新たな施設の整備建設と比較して、既存の施設は新設時の画一的な設計・施工条件と異なって不確実性が多く、厳しい制約条件において個別施設の現状に応じた適切な措置が求められている。適切な措置を選定するにも数多い選択肢から最適な措置を選択し、適切な時期に施工するために、担当する技術者に高度で多様性のある専門技術を保有することが求められる時代へと推移している。

 このような厳しい周辺環境において、建設し供用されている多くの社会基盤施設が適切に機能や性能を発揮するためには、メンテナンススキルに精通した技術者が必要となる。ここで、メンテナンスの時代に機能する技術者に求められている役割と必要な技術、執行能力に優れる技術者の育成について順を追って説明しよう。