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-分かっていますか?何が問題なのか- ㉛真の『安全・安心』と温かい血の通う技術者

これでよいのか専門技術者

(一般財団法人)首都高速道路技術センター
上席研究員
髙木 千太郎 氏

1.不祥事、建設事故とヒューマンエラーを考える

 構造物を造る、使っている構造物を改造するなどの工事には、無事故であれば望ましいが、事故が起こるのはつきもの、それもヒューマンエラーを原因とする事故がやたらと多い。ヒューマンエラーは、個人的な問題と組織的な問題に区分され、前回対症療法型管理の説明で掲載(10月1日号の図‐2参照)した図を今一度見てもらいたい。ヒューマンエラーには共通点が多く、個人としては技術力の不足、想像力の不足、そして意識フェーズの低下があげられる。ヒューマンエラーの抑止手段としては当然組織の対応が効果的といえるが逆に、組織あるゆえの人的な事故発生もある。


 私は最近、個人よりも組織に問題があって、世を騒がす不祥事や不安をあおる事故が多発しているのではないかと思うようになった。組織的な事故や問題発生の人的要因として、過ち(エラー)があげられ、『スキル・ベースト・エラー』と『ミステイク』に分かれる。『スキル・ベースト・エラー』は、行為を起こす考え方は適切ではあるが行為が失敗となるものを指し、それは注意や知覚の不全、粗雑さ、つまずき、記憶の短期的障害が含まれている。『ミステイク』は、起こした行為自体は計画通りであったが、立てた計画に不適切さが含まれ、得られる情報の評価に誤りがあったり、意思決定の際に誤りがあったりするものを指す。ここに挙げた『スキル・ベースト・エラー』も『ミステイク』も意思に反してルールから逸脱して事故を起こした場合である。


 組織的事故には、先の過ち以外に違反行為があげられる。ここにあげた違反行為とは、決められたルールを守るまいという意図が存在し、最近数多く発生する事故、不祥事はこれに該当し、多くの場合、関連する組織の意思決定に伴って発生している。組織を構成する個人には悪意はなく、善人であるかもしれない。しかし、組織の一員として、組織活動の一環として意思決定する際には、ルールに反した誤った意思決定する場合がある。具体的には、長い間掛かって築き上げた日本の技術への信頼と高い品質評価を地に落とす恥ずべき行為を行った、㈱神戸製鋼所、日産自動車㈱や㈱SUBARUがこれにあたる。今回の科学技術上の不誠実行為であるデータ改ざん、隠ぺい、ねつ造や無資格検査等を行ったことは、例え品質の再検証結果が合格であったとしても、絶対に許される行為ではない。今後ここにあげた不祥事は、いずれ全容がオープンとなると思うが、本社や現場のトップ集団の関与は間違いなく、集団の合議による承認があり、そのプロセスに機能不全が存在することは明らかである。


 この問題の解決には、旧態然とした体質、「幹部の提案ならば、反対することは困難だ。したがって手続きを踏むことは重要なことではない」、「意思決定の内容が良ければ、手続きは不要である」などルール無視の考え方を一掃することが必要である。意思決定の過程や手続きに瑕疵がある意思決定は無効だという考え方が主流とならなければ根本的な解決とはならない。また、組織内の考え方に人的要素が強い組織は、互いの意見について賛成か反対かの判断において対人関係の正負と混同される傾向があり、冷静に対立する事象を冷静に見て、判断しようとする姿勢が失われることが多い。要するに問題を抱える組織は、特定の人に任せっきりの組織があげられ、ここには幹部の不適切な同調や服従を部下に強いる場合が多い。また、都合の悪い情報の隠ぺいや発生している重大事項に対し、組織内外に箝口令を敷く旧態然とした自己欺瞞体質に問題がある。直近で起こった不祥事について、その根本的な原因を考え、私なりに説明してみたが、ここ数年の間に多数発生した橋梁建設に関連する事故も同様ではないのか? 私の考えでは、これまであげた不祥事よりも解決するのは厄介かもしれないと判断している。


 現代の建設工事は、機械化とICTが進み、人間本来の勘や考え方が入り込む余地はほとんどない。事故が起これば、事故原因分析をコンピュータが行い、事故を防ぐチェクリスト表が創られ、それに従うようにと上から下への人間性無視の指示や命令が断行される。要するに、人間的で熱い息を感じる技術者が必要ではなく、感情を持たない機械的でサイボーグのような冷たい技術者が最高の評価となっているのが現状ではないのか? もしもそうであるとするならば、専門技術者も今流行りのAIに、ここ数年で取って代わられる可能性大だ。果たして本当そうなのであろうか?血の通った人を機械のパーツのように扱い、机上の空論をさも当然のように展開することが本当に良いのか、正しいのかを考える必要があるのではと私は考える。