HOMEインタビュー一覧2021年新年インタビュー① 西川和廣土木研究所理事長インタビュー 

インタビュー詳細

令和2年の橋梁業界を振り返る

2021年新年インタビュー① 西川和廣土木研究所理事長インタビュー 

国立研究開発法人
土木研究所
理事長
西川 和廣 氏

 毎年新年に行っている西川和廣土木研究所理事長インタビューだが、今年は令和2年度を振り返っていただいた。新設橋梁における新技術の状況、連年の弊である橋梁の流失、AI、グースアスファルト防水、インフラのトリアージなどのキーワードについて、思うところを存分に語っていただいた。(井手迫瑞樹)


Only春日の状態で良いのか

 ――令和2年度の橋梁の置かれた状況を振り返ってみてください

 西川理事長 ずっとウォッチしてきたわけではありませんが、もう橋は終わりかな、と感じています。

 ーーそれはなぜですか

 西川 我々は研究機関ですが、研究分野からも橋梁業界からもこれといった面白い提案が出てきません。三井住友建設の春日(昭夫)さんだけが、一人気を吐いている状況です。1月1日から国際コンクリート連合(fib)の会長にもなられました。小田原ブルーウェイブリッジのエクストラドーズド橋から始まって、自碇式吊床版橋である青雲橋、バタフライウェブと次々に新しい橋梁形式にチャレンジし、かつ実現してきました。


バタフライウェブを用いた新名神武庫川橋(弊サイト既掲載)/
デュラブリッジを用いた別埜谷橋の施工状況(井手迫瑞樹撮影)


 私は、コンクリート橋を含めて、橋梁の寿命を決めているのは鋼材だと考えているといったところ、春日さんは、本気でコンクリート橋からスチールを無くすことにチャレンジしてデュラブリッジを考案して実際に建設も行い、とうとうミニマムメンテナンス橋を実現してしまいました。海外の識者からも実績を評価されて、満を持してfib会長に推されたのだと思います。

 だけどOnly春日の状況で良いのかな? と思います。春日さんも60を過ぎています。我こそは! と続いてくれる若い技術者・研究者が次々と出てこないといけません。特に鋼橋から声が上がってこない。これを憂えています。

 私が(旧)土木研究所で道路橋示方書に関わっていたのは2001年の3月までです。

 我が国の主要な交通手段は、明治までは船、明治からは鉄道であり、戦後になってから道路にシフトを始めました。本格的な道路づくりは昭和30年代からです。道路橋示方書も昭和31年の鋼道路橋設計示方書/鋼道路橋製作示方書から現在に近い形になりました。私が入省したのは昭和50年代に入ってからですが、まだ高度経済成長の余韻があって、どんどん道路を造っていたわけです。そこでは生産技術などの変化に対応して道路橋示方書の改訂を重ねながら、標準設計図集を作成するなど、橋の量産を支えていました。道路橋示方書は本来、その時代の標準仕様であり、情勢が変わればフレキシブルに改訂していく必要があるので、局長通達という改訂が容易な形で運用されてきました。それなのに技術者の大半は、示方書を憲法のように捉えて自縄自縛に陥っています。これには会計検査の影響もあるかもしれません。

 今、川崎と羽田の間に橋を造っています(下写真、井手迫瑞樹撮影)が、私が橋梁研究室長時代に示方書の規定を変えなかったらできなかったかもしれません。鋼材の最大厚さの規程を50mmから100mmに改定しました。日本の鋼材は世界一品質が高く、精度も良いのにそれが生かされていませんでした。JISにはすでに150mmまで規定されていました。ともあれ100mmの板厚をボルトでつなぐというのは考えられないため、溶接にする方向も考えました。このように「可能性を広げるために何かを変える発想」が大事です。

 ――一方で維持管理に関してはみなやる気を見せていますよね

 西川 土研でもシーザーを維持管理の総本山にするために頑張っています。その一環として、後でお話ししますがAIにもてる全てを教え込んで、何とかしようと考えています。だから維持管理で新しい誰か、何かが出てきてくれることを望んでいます。

 ただ、維持管理の専門家はなかなかいないのです。


「全体を診る」ことが大事

 ――と言われますと

 西川 この人に任せたいという人が見えません。鋼橋だけ、コンクリート橋だけ、床版だけ、下部工だけというパーツの専門家は、劣化の原因をそこに引きつけて考えがちになってしまいます。橋全体を見ることができなくてはいけないのです。

 実際の資格も鋼構造診断士、コンクリート診断士などがありますが、「それだけ」診ることができてもしょうがない。橋梁全体の状態を総合的に把握できる人が必要なわけです。そうした維持管理のありかたも見直していかなくてはいけません。

 ――確かに橋梁を細分化した研究は進んでいますが、それを俯瞰して全体を見られる人がいるか、というと俄かには出てきませんね

 西川 大学でも総合的な視点からの研究はもはや難しくなっています。官庁もそうです。誰かが現在の研究や技術に関する方向を変えないといけなのですが、現状はそうなっていません。

 一方で、事業の面では漸くですが維持更新の次代になってきました。但しそれで橋に携わってきたみんなが食っていけるわけではありません。

 ――今後、どのように業界は変わっていくのですかね

 西川 行政に出ていた時に橋梁の内外価格差を調べていた時に愕然としたことがあります。世界を見渡すと日本のような橋梁ファブはありませんでした。エンジニアリング会社があって、ゼネコンがあって、橋梁の部材製作会社があるだけでした。元請のエンジニアリング会社が入札を行い、部材製作会社に発注して必要な部材を買い、下請けのゼネコンに施工を発注して橋を架けていました。国がやる入札を私企業がやっていたわけです。これは大変だと思いました。相当に競争力を付けて会社の形を変えていかないと、日本の橋梁業界は大変なことになると30年前に橋建協を前に演説したことを思い出します。生き残るためには、橋梁を主体とした道路全体を受注できるような、橋梁が得意なゼネコンにならなくてはいけないという話をした覚えがあります。そして今、それが現実になりつつあります。

 ――高速道路各社の大規模更新に関してはその傾向がありますね

 西川 大規模更新もそうですが、大きなJCTでもスーパーを中心としたゼネコンが親になり、橋梁ファブは鋼にせよPCにせよジュニアパートナーになるか、橋梁部材製作または施工の下請けになることが多くなっています。それはそれとしてマネジメントが難しいのですが、橋屋の出る幕が無くなっています。考えていかなくてはいけません。

 ――橋梁コンサルタントについては

 西川 コンサルタントも年配の技術者は未だ気を吐いている方もいますが、若手が育っていない気がします。目先の利益重視で無難にこなすのではなく、技術者としてチャレンジしていく姿勢を見せて欲しいと思います。